弟子筋コラム  
隻眼先生の環境マンダラ(連載第1回)

       お盆の上の豆になるな


 何を信じればよいのか
 国内だけでなく国際関係を通じて, 偽装, 捏造, 改竄, 陰謀, 談合,密約, 隠蔽などが渦巻いているようだ.大体においてどこの政府でも,内憂が起こると国民の目を外患に向けることで,危機を乗り切ろうとする癖がある.こういう戦術に乗りやすいのがマスコミで,一般国民はすぐこれに同調した気分になって,去年2002年6月の「田中真紀子外相更迭」の結果30%代に落ち込んでいた小泉内閣支持率が,日朝正常化交渉が始まると70%近くに跳ね上がる,という不思議な現象を引き起こす. 
 今マスコミだけを責めるわけにはいかないが,北朝鮮への拉致被害者の帰国後の一挙手一投足が連日テレビを賑わしている.被害者の家族たちは過去25年近く,調査や救援の要請活動を懸命に続けていたというのに,このような場面はほとんど報道されなかった.それが一転した.最初は一時帰国の状態だった被害者をこのまま戻さない,残されている被害者の家族をこそ日本に返せ,という要求が,曽我ひとみや(自殺した?)横田めぐみの娘たちを北朝鮮が日本の取材陣の前に出した戦術に乗せられた形で,相手側に「約束違反だ」と言わせる口実を与えてしまったようである. 
 まぁこのことじたいは大問題にはならないかもしれない.しかし,この原稿が実際に印刷されて読者の目に触れる来年早々に,この国はいったいどうなっているのだろうか?イラクや北朝鮮の核査察問題は決着しているのだろうか?これが隻眼先生のいちばんの心配の種のようである.日本は必ずアメリカの命令に忠実に従う,とまったく舐められているし,極論だが「日本は地球上から消えてしまってもいい国だ」とさえ囁かれているという.20年以上も日本に住んでいる情報コンサルタントで親日派のBill Tottenが躍起になって「日本はアメリカの属国ではない」(同名の著書がある)と説いているのも,「日本無用」と表裏の関係にあるといえるだろう.CIAが謀略のかぎりを尽くして北を暴発させたとすると,北のミサイルは日本に向けて発射されるだろう(アメリカ本土には届かない).これは昔日本の関東軍が柳条湖や蘆溝橋でやった手口と同じである. 

 お盆を傾けたがる慎太郎には要注意
 お盆をどちらかに傾けると,上にのっている豆は傾いた方向にいっせいに集まる.普通は「雪崩を打ったように」と表現されることが多い.ニーチェはこの雪崩を「大衆」「衆愚」と呼んだ.隻眼先生の記憶では,「お盆の上」を初めて使ったのは石原慎太郎現東京都知事で,彼が環境庁長官だった1978年のことであった.彼は「PPM教の信者諸君!」という論文を『文芸春秋』(5月号)に寄せ,急先鋒の某紙や主として疫学を使う反公害学者がPPM教を組織し(お盆を傾け)て,国民全体をお盆の隅に寄せ集めた,という表現をしたのである.
 当時日本のNOxの環境基準0.02ppmが世界一厳しく,それをクリアしてなおかつ燃費もよいホンダのCVCCなど技術開発のおかげで,日本車が外国の市場を席捲し,他の先進国から環境基準を緩和せよという圧力がかかっていた.隻眼先生にも,「経済と環境を調和させよ」という論説を書け,という要求が財界の雑誌から来たのだが,先生は逆に,慎太郎に返り討ちを浴びせて意気揚々だったという.しかし環境庁大気保全局長の橋本道夫は,安易な調和論でもなく疫学一辺倒でもない議論を展開し,0.02〜0.06ppm以下という不可解な基準を案出して,外圧をかわすことに一応成功したのである.先生は以前から橋本に私淑していたそうだが,この基準緩和の時だけは私憤を覚えたという.
 今日本は,二重三重の「前門の虎・後門の狼」的状況にあって,北の仕掛けてくる罠vs.拉致被害者の父母たちの声高の叫び(北朝鮮蔑視の言動が少しずつ増えている),竹中平蔵大臣の不良債権処理・デフレ対策のhard landing案(確かに評判は悪い)vs.自民党反対勢力の脅し(失敗したら誰が責任をとるのか?銀行の親玉たちも大臣を睨みつけている),どんな手も信用しない証券市場vs.モノ書き(猪瀬直樹)と文化人(大宅映子?)を小馬鹿にした与党と知事連の気勢,などなど.
 隻眼先生は,ちょっと例えが悪すぎるがと断わって,モー娘。のアホさ加減と亀井静香や古賀 誠・江藤隆美らの議論無用といわんばかりの顔つきがそっくりだといった.先生がモー娘。も見ているとは驚きだが,最近は,「ノーベル化学賞の田中耕一も含めてみなワイドショウ化されているわね.モー娘。たちは田中耕一の顔が誰だか答えられず,だから亀井らは道路族の代弁しかできないアホだ」ということか.松浪健四郎の音頭で自民党員が,「頑張るぞ」と右手を突き上げている様は,まさに衆愚の典型である.自民党的体質を先生もなんども経験したという.ゴミ減量など行政審議会の会長を勤めた先生は,各層代表が30人も集まった会議ではまともな議論ができないから小委員会を設置しようと提案をしても,自民系のボス型のメンバーは必ず「そんな面倒なことは要らん,議事進行!」と叫ぶのだそうだ.
お盆は日替わり的にアッチコッチ傾きを変え,一般市民が無関心・無党派層を決め込む原因はここらにありそうだ,と先生はいう.

 隻眼こそ寸鉄人を刺す風刺の根源
「先生はいつごろから隻眼になったのですか」というわたしの問いに,先生は「待っていました」とばかりに?々としゃべり始めた.先生がいったんこういう状態になると,次々と飛び火させながら話題を広げるので,頭の中の引き出しに軸索が伸びていって,聞いているわたしも一種の興奮状態になるのだが,後ですぐにノートを纏めなおしておかないと,何をどの引出しに入れたかが判らなくなってしまう.上の小見出しは先生の話にわたしがつけた題目である.先生は旅の話から始めた.
 「1976年9月に出た本に『南アメリカ紀行−街角の文明考』(多田道太郎・上田 篤,サンケイ出版)があってね,著者らが身振り・手振りを主言語として,社会学者と都市計画家が意見を交わしながらマチを観察したんですわ.本では至るところに「複眼」という言葉が使ってあった.もちろん昆虫の複眼とは違いますよ.今は行方不明なんですが,同じ頃出た『ひとり旅のすすめ』(高坂知英,中公新書)があって,僕にはこっちのほうが面白かった.」――だから隻眼とは片目または独力のことですね.
 「そうそう.物理的にいえば人間には両目があるから遠近感がわかるわけで,外国旅行でふたりで対象物を見るようなもんですわ.でもね,日常の生活で溢れかえる映像情報や汚い町の広告を見慣れてしまうと,両目の役割に気づかないで,大事なことを見落としてしまう.ボヤっとしてると右耳から入った情報が左から抜けてしまうように.だから僕は隻眼になって表面だけを見ずに映像の裏や活字情報の背面も見抜くべきだ,というのです.」――でもそういう癖が嵩じると皮肉屋になりませんか.
 「そのとおり.へそ曲がりだし,つむじ曲がりだし,やぶ睨みです.さらに自分では言いにくいが,風刺家といわれるともっとありがたい.数年前ヨシトミヤスヲの国際風刺漫画展を見たとき,大賞をとったのは温暖化した地球が湯気をたてて体温計をはさんでいる構図だった.でも僕は,鰯がいっぱい同じ向きに泳いでいるのに1匹だけ反対に向いているヨシトミの作品が気にいって,大枚を払う決心をした.ヨシトミ氏には「先生お目が高い」と褒められましたよ.」――風刺はユーモアに通じますか.
 「ブラック・ユーモアでしょう.90年の春にNHKの解説委員の永井多恵子が出演交渉に訪ねてきました.僕は彼女の隠れファンでもあって,なぜ僕に目をつけたか尋ねたところ,先生はブラック・ユーモアで有名ですよ,といわれたのでたいへん嬉しかった.自分でブラック・ユーモアの稽古はできないけどね.それから「wearableの伝道師」と呼ばれる塚本昌彦(写真)のようにHMD(head mounted display)を「着る」と,ふたつの隻眼で講義のときには便利でしょうね.これで大阪の南を練り歩いたら独眼竜政宗以上に歴史に名が残りますなー.」


 先生の話はまだまだ続いて,隻眼流やユーモア・センスの奥義の獲得法やマンダラも登場するのだが,これは次回以降にまわします.
            [筆者:流石(さすが) さざれ/文筆業]