弟子筋コラム  
隻眼先生の環境マンダラ(連載第10回)

       社会接手学の必要性

今年の8月は,例年以上に異様な気分だった.連載の(4)でも指摘ずみだが,この国の右傾化がいよいよ明瞭なのに,国民・市民とマスコミは一切憤慨の徴候を示さずに,いつもと変わらぬ消費生活に耽溺しているようにみえるのだ.最近の『週刊金曜日』では,これまで留保の多かった筑紫哲也が「何を言っても反応がない」と,堪忍袋の緒を切った.

生きていた戦前の亡霊

右傾化のイデオローグが小泉純一郎だとはいわないが,皇国派や戦争肯定派が自民党の中に復活したのだと見ていました.ところが流石君も読んだでしょう,『週刊金曜日』88日号には,追放を解除された戦前の特高幹部50人以上もが衆・参議員になっていたという実名が載っていました.最長老が昔鹿児島県特高課長だった奥野誠亮で,彼は今度引退するらしいがね.特高の亡霊どもが大嫌いなのが,一に共産党,二に市民(またはNGO),三・四がなくて五が環境?ではないかなー.もちろん今は戦前のように共産党員を拷問にかけて獄内で殺すようなことはできないです.でも1年以上も恭順だった辻元清美を今頃逮捕したのは,彼女が市民運動出身で,次の衆院選が近づいたことや大阪府知事の有力対抗馬に挙がっていることなど種に,生きていた亡霊が手の込んだ仕掛けをしたとしか思えませんね.

 環境のグループに官憲はどんな手を下すのでしょうか?先生は大丈夫ですか.

「世が世なら僕も手が後にまわるかもね,へへっ.大学や学会の城塞から出よということは同時に,監獄の中にも外にも落ちずに塀の上を歩け,ということです.環境研究自体が罪に結びつくことは絶対にない.しかしHIV感染症の例を思い出してごらんよ.御用学者も無作為も犯罪になる時代です.それと今まで目こぼしされていたような談合や,環境の危機を誇大に言い立てることも,引っかかるでしょうね.かつての治安維持法の考えが,どんな形で有事法制の中に復活してくるかが要注意ですよ.


リーダーまたは棟梁の条件

 堪忍袋の緒が切れたにしては,『金曜日』88日号の筑紫哲也と池澤夏樹の対談は,語り口が案外穏やかでしたね.先生も読んだでしょうが,この中で池澤が面白い表現をしていました.毎日次々とお買い得商品が出てきて,日本人は生まれた時から消費者だ.二世議員連中にとっては「イラク特措法」がお買い得なのかと思ってしまう.彼らは今三塁に立っているから自分が三塁打を打ったつもりだろうけれど,三塁で生まれただけなんだ.問題に対して形だけの答えは出すが,実体験がないままsimulation以上の思考力はない,とね.

「さすがに作家ですね.僕がこれに追加すると,三塁ランナーが自分は専門家だ,リーダーだと思い上がっていることこそが問題なのです.無関心で民度の低い大衆もそう信じている.イチローのように絶妙の内野安打で出て二盗・三盗こそが専門家ですよ.三塁打だって狙って打てるものではない.僕はこういう例に遭遇するたびに,“釜本現象”と呼んでいました.釜本とは,Jリーグ以前のヤンマー時代から得点王といわれた釜本邦茂(最後はガンバ大阪の監督)のことです.こういう人材はどこにも必ずいて,互いに競いながら誰かが得点王になる.その彼の名が偶然釜本だったということで,マスコミが特に騒ぎたてたわけではない.釜本の代わりに平泳ぎの北島康介を置くのは反対です.彼はスポーツ科学の瞬間的産物で,本人には悪いが,ジャリタレと同じように一定期間後には捨てられます,ウン?長嶋茂雄はどうかって.アレはもっといかんね,春のキャンプでは全チームの打撃コーチの邪魔をして廻っているよね,それを追いかけるマスコミはなお悪い.イチローの将来は今後彼自身が“釜本現象”を体得するかどうかで決まるでしょう.

 隻眼先生が何を言いたいのか朧げながらみえてきた.二世・三世議員はもちろん定年退職した教授の狭い分野の後継者も,もっと周囲が見えねばリーダーではないただの解説者,萬世一系の誰かさんもいつも希望を述べているだけだ.いよいよplannerdecision makerの職能論が始まるのだ.

「その通りです.もう二つほど例を挙げておきましょう.昔は建築を造家といい,これはhouse buildingですね.しかし建築学はarchitecture,これは技術の棟梁です.archiの前にanをつけてみればすぐ解かるでしょう.棟梁は材料・現場・職人のことなどが全部頭に入っていなければ務まらないです.それからダム湖の富栄養化や工事の瑕疵に関する材料欠陥問題などで,専門家を証人や鑑定人に依頼してその専門分野を克明に解説してもらっても,全体に対しての影響がどうなのか完全な証拠だてにはなりえません.ある開発単位ごとに環境影響評価をいかに精密にやっても,大気・水質・騒音・景観などの縦割り専門分科の報告を集めただけでは,<影響は微小である>としか結論できないのも同じですね.しかし全部を集めたらエライことになっている.神戸の裏六甲開発がそうですよ.これが阪神大地震に無関係とはいえないという推論も可能なのですが,それはさておき,神戸の下町で隣近所仲良く安泰に暮らしていた大勢の市民が,住宅所有という刹那的甘言に乗せられて,ローンと地下鉄の通勤費負担を前提に新団地に追出されたのです.

「弁護士からは時効なしの(秘)だといわれているので,文章化はできませんが,簡易水道配管の破裂事件の裁判で,塩ビ管の接手の熱応力的欠陥が露呈した原因として,僕は,管網化をサボった設計ミス,小規模水道に起こりがちな水撃作用,マニュアルを無視した機械力による接合などを総合して判断したのだけれど,熱可塑性が専門という化学系の先生は水道システムとは無関係に,供給された材料の欠陥だけを力説していました.飛躍をしますが,この状況は自民党の族たちがそれぞれの居城に立て篭って,政調会の圧力形成をしているのと似ていますよ.(3)でも言ったように,看板が変わっているのに専門内容を変えない先生は罷めるべきです.別の表現をすれば,五を知って一だけを書くということかな.

「接手の機能とその社会的意味を総合した接手学を僕が提唱する根拠はこういうことで,いかに隙間産業を発展させても,売れ行き好調の隙間家具に過剰な収納物が溢れているのと同じです.『選択』7月号によれば,日立製作所やNTTにも隙間産業はたくさんあるのだけれど,日立は巨艦なるがゆえに家電からの撤退や汎用半導体部門の切り離しが遅れたとか,NTTは旧電々時代の重い鎖をまだ引きずっていて,大株主の政府総務省にお伺いを立てる必要から,世界のテレコム会社の後塵を拝しているそうです.元の本体が改革できないなら,折角の接手も効果をうまく出せないでしょう.隙間産業で雇用は発生しても,社会的コストも増大しますよ.

環境の言語規定―ProblemsIssues

やっぱりここへきた.前に先生の講演を聴いたことがあるので,私なりにまとめさせてもらおう.私がスーパーで観察したところでは,一般大衆のおよそ80%以上はレジ袋問題にさえも無関心なのに,地球にやさしい,環境にやさしい,まったきを保つなど,傲慢さや形容矛盾に満ちた表現が多すぎるのだ.また科学的分析対象にはなりえない「環境容量」をあたかも分析可能なように思い込んで,自然浄化能力の研究にうつつを抜かす偽plannerの問題もある.容量とはbuildすべきもので,定量分析の前に定性分析が要るのが化学分析の常道なのと同じように,この定性分析に相当するのが環境関連の言語規定なのだ.持続性(sustainability)も同じで,いつまでの将来をいうのかが規定されないと,全く無意味である.簡単にいって,将来を拘束するのが「計画」で,これこそ今流行し始めたmanifestoではないか.

「いよっ,流石大統領

「環境」を分節すると,@境界はよく見えないが有限な認識空間,A緑を下位概念にもつ自然そのもの,B汚染物・有害物の濃度で指標化した雰囲気の表現,の3つとなり,このうちlaymenが自己として関われるのは@だけである.環境問題にも2種ある. problemsissuesである. problemsとは理想と現実の乖離を表わし,まず理想を見つけにくいし,現実を見渡す視野とも関係するから,ここにlaymenが出てくると百家争鳴になってしまう.その結果偽専門家に登場願って,resolve,again and againという形式になってしまう.つまり,所与の目的の合理性を認めて,上意下達型の決定をせざるをえない.これに対してissuesは争点と訳してもよく,国際経験の多い人は大体これを使っている.この場合には,本当のplannerまたはmediatorの支援によって,laymen全員が議論に参加すべきなのである.ここからleadermanifestoを採択できるし,役割ゲーム風にいえば,role formation in morphologically rational society(形態合理的社会での役割形成)なのである.

 先生,こんな調子でよかったですか?

「はい,結構ですよ.ただし横文字が多かったので,別の例も入れて言い直してみましょう.何度も同じことを喋っているようですが,一だけ知っていてその一で専門家ぶっている人は,流石君のいうAかBだけのそのまた一部の専門家ですね.ところが五を知っておれば,その中からいろんな組み合わせができますね.5C51種類の統括をしているのは,大工・瓦職・左官・内装・設備の手配をしている棟梁ですが,環境のissueでこういう意味論的総合を一挙に完成するのは難しいでしょう.せいぜい5C25C3(10)ていどの組み合わせを考えても,10種類の一を作れますね.環境を@の規定で読みとるポイントはここにあって,多少繰返し型(Delphi)の多数決を使うことを前提にすると,何と何の関係を重視するかが普通の人間(laymen)の参加でできるのです.

 もう少し具体的な例はありませんか?

家電製品の関係性とは?

90年ころだったと記憶しますが,NHKTVが「究極の家電:人間洗濯機」という番組を放映しました.僕は70年万博のサンヨー館の目玉が人間洗濯機だったことを覚えていたので,<あれ,まだやってんのかいな>という興味本位で見ました.それとこのシリーズでは,道具学・工業デザインの柏木 (武蔵野美大)の意見が面白くて,僕はよく見ていたと思います.番組では透明の洗濯槽の中のモデルが映し出され,三洋電機の技術者やNHKのアナウンサーのやりとりで,超音波洗浄やマッサージ・ボールの快適さが強調されました.でも価格の話はまったくなく,<温泉や風呂好きの日本人のいったい誰が買うのかな>という疑念は残りました.最後に柏木に「究極の・・・・」への賛同が求められたのですが,彼は言下に<われわれの求めているものはこんなものとは違う,関係性だっ>と切って捨てたのです.コンテにどう書いてあったかは知りませんがね.さー,流石君はこの関係性をどう説明しますか.」  
  ウーム,家庭電化が進むほど主婦の労働時間は微妙に増加している,という三輪昌子
(生活評論家)の講演を聞いたことがありますので,究極の家電は電気釜だけだ,と私は思っていました.その電気釜だって,薪をくべる竈に軍配を挙げる馬場孝一(明海大学)のような人がいて,竈の前で火吹き竹を持って炎を見つめているときは,主婦の重要な休息時間だというのです.親爺が<おーい,子供が泣いとるぞ>と叫んでも,<あんた見てやってよ,私は今御飯炊いとるんや>と言い返せばいいのです.

「そうだよね.寝室兼客室の座敷に何も置いてなければ、掃除はハタキと箒で簡単にできます.ところが今はモノが増えただけでなく,かさ張る掃除機の収納だってバカにならない.仮に人間洗濯機が快適だとしても,風呂の残り湯を使う仕組みの全自動洗濯機が無意味になってしまいますね.こういう装置相互の関係性に限らず,柏木がいうのは,装置と人間とさらに家の中の家族の動線までも含めたものを指すのでしょうね.取り込んだ洗濯物が階段の下に置いてあれば,誰でもそれを2階へ持って上がる,というような関係ですよ.ついでにいうと,生活実感にもとづく個人住宅のデザインと妍を競うようなハコモノの建築デザインの違いも,この種の関係性の有無で説明できるでしょうね.

環境学も関係づけの学問である

 社会接手学と環境学を,先生はどう使い分けるのですか.

「さっき流石君が挙げた@〜Bの環境のうち,大多数の人はAかBがいわゆる問題を抱えていると誤解していますね.特に地球環境問題を@で読み解くには,最近の成果では,J. E. Lovelockの“GAIA”仮説を始め,哲学者や物理学者も含めた昔の学者たちの<有限・無限論>を齧る必要が出てきます.だから<環境>といえばこの世の外側を取り囲んでいるもの,と短絡してしまうグループに対しては,社会接手学のほうが理解されやすいと思います.僕の経験では,社会学者がこの典型です.92年のリオ・サミット以来多くの学会が<環境>に手を挙げたのですが,社会学会が武器がないといって手を降ろしたのです.これはある意味で謙虚です.でも社会接手学には乗ってきましたよ.

「それから連載の(3)で宮廷建築家USを紹介しましたが,彼の追悼文集の中に「環境学としての意匠の重要性」という遺稿があって,その冒頭に,<環境学は関係学である>とあったので,正直にいって僕はホッとしました.従来工学部にあった建築学はモノの秩序に価値を置いた棟梁養成の学問,これに対して環境建築は,生活空間の総体(@の環境)を,循環・再生・持続・long life・省エネ・景観・調整・融合・調和をキーワードとして可視化すること,つまり意匠(デザイン)することなのだと定義しています.(3)も読み直してみてほしいです.        

                 (流石 さざれ/評論家)