弟子筋コラム  
隻眼先生の環境マンダラ(連載第12回)

         人環一如

「人環一如」とは,人間と環境とが渾然一体となって,マンダラを織りなす様子を表わした新語である.一如にあたるような言葉は英語にはない.partnershipfriendly to the earth (地球にやさしい)でもない.米国が本当に友好国なら,一国主義を止めろと日本がハッキリ言うべきだ.ここに先生のいう壮絶な闘いの意味があって,(11)で積み残した建設廃材との戦いが出てくるのではないか.

大状況的ポンチ絵の信憑性
 「そうです.東京都の夜間中学廃止に反対した高野雅夫一家が,旧国鉄の古枕木6000本を使って,三宅島に<生闘学舎>を建てたのです.高須賀 晋の設計で,建物は81年度建築学会賞をとりました.女性も含めた高野の協力者と高須賀らの約5年間の苦闘は『生闘学舎建設記録』(修羅書房, 82.01)として出版されました.主な内容は,仕事の辛さによる仲間同志の喧嘩,砕石や犬釘が喰いこんだ堅い栗の木との格闘です.もちろん子供もいっしょで,高野の長男の高野 生は後日,法政大の<教育経済論>(担当:尾形 )の教壇に中学生として立ったのです.つまり尾形も偉かったのですよ.ついでいえば,この講義はいつも偽学生で満員だったそうです.
  古枕木6000本は線路の長さではせいぜい2.5km分くらいですね.昔は古枕木が鉄道の用地境界の柵になっていましたが,もっと大量にあるはずの廃棄枕木はどこに隠れているのでしょう.
 「それは僕にもわかりません.生闘学舎をもっと建てよというわけではもちろんない.最小限下のような図を書かないことです.みかけの循環率は約8%ですが,この輪には週〜数十年の周期の材が混じっているから,現実にはこの図の現象は存在しないはず,リサイクルと不法投棄の類似性は,まさに<環境計画の不在>にあるのです.僕が言いたいのは,なまじっかな<環境科学>は百害あって一利なしです.そこで“unlearn”が必要になります.」   

Unlearning Environmental Science

従来の環境研究はanthropo-centricだったからeco-centricに変えよという意見が多い.けれど生態学の大御所沼田 眞は,逆に後者から前者への転換を説いた.たとえecoを中心に据えていても,観察者が系の外側からとやかくいうのなら,一如ではないのだ.沼田のいうanthropoは系の内部に人間が入り込み・・・,ということで,彼は環境計画学のKMSTを研究チームに招いたと聞いている.
 「僕もそう理解していますが,環境計画学には誤解が多くてね.UNEPUN-Environment Programです.一般にはprogrammingplanningの区別が全くできていない.programは目的が所与でね,これに辿り着く道筋の最適化が計画になっている.だからPERT(Program Evaluation & Review Technique)などの方法論が公共事業華やかなりし時代に開発されました.説明がやや混みいってきますが,planningでは目標は未知なので,これを探すことから出発するのです.またこれは集権的な中央機関の仕事ではないのです.ですから利害関係者が相互に意思疎通をしてそれぞれの役割を発見し,次第に全体の目標も定まってくる,という構図が浮上します.こういう2種類の計画のうち,前者は目的合理的,後者は形態合理的というのです.これまで時々問題にしてきたdesignerの立場はplannerに非常に近いけれど,目標の探り方が少し違うね.端的にいえば,環境planと建築designの目標の深度(哲学性・倫理性・審美性・多元性などのvariety)を比較すれば分かりやすいでしょう.
上の小見出しは,Immanuel Wallersteinの“Unthinking Social Science(1991)を借りたもので,unは否定ではなく,thinklearnを解きほぐして組立てし直すという意味ですが,paradigm shiftでもないようです.Wallersteinは,自分の乗っている船の航跡はよく見えるが行き先は全く見えないのだ,という表現をしていました.」 

環境計画を狂わせたのは誰か
 よく分かりました.先生は(9)(11)ではあまり環境計画という用語を使わずに,偽plannerや裏・表などに譬えながら,説明に苦労していましたね.より決定的な犯人はいませんか.
 よく聞いてくれたね.日本では欧米の成果を輸入するときにしばしば間違いをしでかします.アメリカでは1969年にIan McHargの“Design with Nature”が出て, 75年前後に彼の2人の弟子,磯辺行久とHarvey Shapiroが来日して,地方自治体の環境行政を席捲して回り,僕も2人に会いました.原著の邦訳が出たのがやっと94年で,それまでに皆McHargmap overlay法に目が眩んでしまいました.ところがMcHargとは別分野のYacov Haimesの論文で,アメリカの河川流域は1000くらいの意味のあるgrid分割が可能だが,水資源関連の目的関数は20くらいだというくだりを読んで,僕はハタと膝を打ったのです.Haimes理論の輸入でも手法の紹介に気をとられすぎて,1000の地域特性分布に20の目的を割り振る自由度の大きさに誰も気づかなかった.僕は運良く米国のregional plannerの天国状況を理解できたのです.どこへ行っても人が住んでいる日本にはこの自由度はないよ.
 その点,磯辺とShapiroは無知だったのだ.
 「そう.おまけに沼田 眞さえもがShapiroを子分格にしたのよ.僕がより情けない思いをしたのは,たしか2000年に日本科学技術財団が都市計画分野の国際賞(\5,000万円)McHargに与えたことです.McHargが悪いのではない.審査員の目が節穴だった.日本の環境行政がMap Overlayにとびついたのも同種の失敗です.公害から環境に主題が変わりつつあった時代に,いくら総合計画を謳っても公害防止計画に毛が生えたていど,あまり計画の手垢がついてなかったgreen zoningを重点化した見栄えのする計画を磯辺らが宣伝して,行政がコロリと参ったのです.旧環境庁の加藤三郎が英国からamenityの概念を持ち帰ったときにも,これを誰かが<快適性>と訳したために,歴史性や絵画性が抜け落ちたことと軌を一にしているでしょう.

問題は持続性ではないのだよ,愚か者
 人口に膾炙している言葉を,一流の研究者すらさも達成可能なふりをして使いますね.Jean-Francois Richard(ジャンフランソワリシャール)の本(吉田利子 ,草思社, 03.5)からこの見出しを借りました.訳書の題は「持続性」ではなく「グローバル化」で,これは原著の第T部の表題です.いずれにしろ小気味いいです.原著の題は“High Noon(Gary Cooper主演映画)で,正午の決闘時刻が刻々と近づいてくるときの緊張感を地球環境問題に当てはめています.先進経済大国が自縄自縛に陥っているglobalizationのさらに向こう側に,ITが複雑に作用するnew world economyが見えていて,これと地球の人口爆発が新しい大負荷を発生する,という内容です.先生も<sustainability>が嫌いでしょう.
 「ええ,僕はもっと前からviabilityを使っていました.sustainは他動詞で,誰かが何かを持続する,研究者でも管理者でもsystemの外側からで操作する思想です.viabilityは自動詞的な自己維持性で,環境モデルの形態合理性をつねに自己checkする回路の有無を問題にするのです.僕も今この本を読んでいますが,著者自身の世銀も含め,国連,国際条約,G8など高級官僚クラスの相談は無効だ,と断言していますね.もうあまり時間は残っていないのに,官僚は「前例がない」といって,なるべく先送りしたがる.いや一般大衆も同じかも.この1年の見るも無残な日本の政治を見せつけられているのに,まだ自民党が総選挙で勝ちそうだなんて,ったく情けない.安倍晋三がイケメンだなんてアホかいな.川口順子も赤い戦闘服を着ているが腰抜けだ.元の環境相だって務まらないよ.
 731部隊の化学兵器の中国人被害者が,一審を勝ちとって川口に控訴断念を懇願していたのに,似たケースで逆の判例もあったと言って外務省は上告しました.外務相にしろ国交相にしろ霞ヶ関に負けない烈女でないとダメということですね.

環境issuesから烈女への期待
 「ええそうです.僕は外務の仕事にまでは口出しできないけれど,レジ袋のような身近な環境問題から,自動車王国的国家の可否の議論,ITによる非政府型意思決定社会への誘導に至るまで,男性の既往モデルは全部破綻したとみるべきでしょう.候補はたくさんいるでしょうが,僕が面識のある烈女に,環境への殴り込みを期待しましょう.

@ 浅岡美恵:元近弁連会長,気候フォーラム代表,PL法制定の際には,role gameによく似たmoot court(擬似法廷)を提示,92年のUNCEDに出席したときは,アマゾン奥地の水銀公害を視察,97年のCOP3では,Green Peace Japanの松本泰子とともに積極的なlobbyingを展開した.

A 今井通子:登山家・医師,中央環境審議会委員,鋭い眼で睨まれると身が竦むが,旦那にhang gliderを習っているTV番組を見たことを告げただけで,僕の女性軍への期待の意図を理解してくれた.

B 上野千鶴子:東大教授,いわずとしれた女性社会学の旗手,出世作の『セクシー・ギャルの大研究』(1982, 光文社)の系列に入る著作の多さの影響か,Internetにはfeminismを揶揄する匿名男性も多いが,まー,よほど腰をすえてかからないと,ちょっと出っ歯の口で噛み殺されるぞ.

C 高村 薫:直木賞作家,人物の挙止動作や組織の仕組みの調査や表現の緻密さには舌を巻く.『疫病神』以上の産廃小説を書いてほしいので,某市のゴミ審議会委員に紹介したが,今のところまだ興味を示してもらっていない.

D 中西準子:横浜国大教授兼()産業技術総合研究所化学物質リスク管理研究センター長,環境リスク管理学で03年度紫綬褒章,このまま大成せずに,往年の<家庭下水と工場廃水の混合処理反対>の気勢の再現を待つ.

E 中村桂子:JT生命誌研究館長,DNAの渡辺 格の直弟子なのだが,普通の研究所や大学の座をよしとせず,一般人を対象とした現在の仕事を開いた慧眼には敬服,やや寡黙だが,ゴミの焼却や破砕処理は野蛮だと述べた著書がある.

F 藤井絢子:全国初の滋賀県環境生協理事長,湖南生協の理事だったが,これと袂を分かって独立,廃食油の回収・再利用(diesel用も含む)に拘り続けているのは立派,合併浄化槽の自己管理の資格取得も推進している.

G 森下郁子:淡水生物研究所長,大阪産大教授,奈良女の研究生の時、娘2人の子守りを指導教授に押付けて実験に没頭した,20年程前,海外逃亡した指名手配犯人長崎某の情婦と間違えられ,メキシコで1日収監,その後チチカカ湖を素っ裸で泳いだ.これは全世界の湖沼・河川を調査する彼女独自のスタンスだそうだ.

1年間隻眼流につきあったら,色々なものが見えて,腹がたつことが多かったでしょう.たけしのTVタックルは,視聴者にも出演者にも一種のガス抜きになっていますが,1013日には帝京大のST(元北部方面総監)2度も,自衛隊は軍隊ではないとほざいたのは一体誰だ,と恫喝しやがって,僕はギクっとしたよ.<100年軍を養うは1日これを使わんがためなり>という教育がされているのは明らかで,万一こんな奴が国会に出てきて防衛庁長官にでもなったら,日本はもう後戻りがきかんねー.その上,官と業が大なり小なり癒着していて,ハコモノの畳は11万円位のはずが見積もりは10万円,アメリカでも同じらしく,114$のベニア板が86$,この差額が政治屋の隠しポケットに入るのだとすると,毎日幸せそうにしている者はまさにバカです.ではどうすればいいのか?,でしょう.

もし烈女に期待するならば,1人ひとり別々にでなく,横に連携して(7)の終わりに出たLysistrata Projectの大運動を起こしてもらうことですか.でも列伝の人はこれには歳の取りすぎですね.

いざcomplexityへ,そしてperplexity研究へ
 「ええまぁ.その次にはね,生闘学舎の経験も含め歴史に残る脚本を書き,劇団四季とまではいかなくても,わらび座あたりの出し物を創っていくのです.これは流石君の仕事ですよ.僕がリサイクルに「」をひとつ足した「リサイル」に拘っているのは,こういうわけです.次が研究者で,最初に示したような大状況的でウソっぽい図は絶対書くな,です.『環境技術』などの雑誌は,「○○の現状と課題」など間の抜けた特集をやめること,ただし10月号の「持続可能な社会への入り口としてのエコ村」(仁連孝昭)はよかったね(持続は別,それと全体をも少し圧縮し,小舟木エコ村projectをもっと紹介せねば)
 そして複雑系と困惑系です.僕はこの用語を75年ころから使って,<困難度の経済学>の提案もしたのに誰も見向かなかった.SantaFe研究所の複雑系が世に出てにわかに注目され始めましたが,これが環境に繋がることに気づいていたのは.公立はこだて未来大学(004月開学)複雑系科学科の小野暸だけでしょう.彼は僕に函館へ来い飛行機で通勤してもいい,とまで言ったが,遠慮しました.この分野の先覚山口昌哉(故人)の,規則的なルールが乱数やchaosを生み出す,という論文にはビックリしました.だからdeterministicprobabilisticuncertaintyindeterminacyという昔の捉え方はもう破綻しています.アメリカ大陸が今後50年単位でsuccessionしていったとき,隣同士のgridの相互作用で帯びるだろう様相は,McHarg理論でも全く予測不能,catastrophicな事態も起こりえます.もう紙幅がないのでやめますが,吉永良正『複雑系とは何か』(講談社現代新書, 96.11, p.89の辺り)を読めば,僕のいいたいことは完全に分かりますよ.では流石君の文運長久を.
 ハイ,頑張ります.

                 (流石 さざれ/評論家)