弟子筋コラム  
隻眼先生の環境マンダラ(連載第13回)

  環境ビジネスの処方箋−いくつかの重大な疑義−


 去年の「隻眼先生の環境マンダラ」には,「これだけで『環境技術』を読む値打ちがあった」,「隻眼先生が誰か見当はついている.もっと毒舌を」などの意見が私のもとに届いた.今年はもう少し環境に集中した連載をという注文で,また隻眼先生に打診したら,「時々相談にはのってやるが,君ひとりでやれ,表向きの理由は『産業技術史事典』の編集で忙しいからだ」という御託宣.「僕は今環境ビジネスのことがたいへん気になっているが,従来型のビジネスとの見分けがつけにくくて難儀している」という注意も頂戴した.

従来型産業は技術過信罪を認識しているか?
 既存産業に罪の意識がなかった典型例は,環境アセス法を何度も流産の憂き目にあわせたことで,表面的には産業界の後盾をもつ建設・通産の官僚が仕切った.しかしこの問題の基礎はすべて,1887年開設の東京帝大工部大学校にあるというべきだ.詳しくは三好信浩『明治のエンジニア教育』(中公新書,1987)を読む必要がある.工部大学校の功労者だった若きHenry Dyer(1873年来日)が英国流の教養教育と世界に例のない工学専門教育の統合を考えたのに,これを専門教育に強制したのが工部卿山尾庸三で,さらにこれに輪をかけたのが,富国強兵・殖産興業の国是を推し進めた大久保利通以来の官僚支配の構図であった.もちろん,明治維新のため完全失業した武士を職業専門家化する必要もあったけれど,景気が悪いといって,失業者を安易に環境ビジネスに導き入れるというのはもっと愚策であろう.
 罪状の本流は,大学や研究に身をおく者にとって,操舵がひじょうに難しい奔流であった.もし山尾流に考えたとしても,環境ビジネスを支えるべき環境技術の実体は,予防または計画原則にもとづく総合技術体系を指すべきなのである.しかし大部分が事後処理型の彌縫策にとどまった.このことで,隻眼先生はわたしによく愚痴をこぼしていた.普通の論文には書けないことだ,と.
 1968年に先生は,70年大阪万博の会場を未来都市の実験場にすべく,万博協会の臨時職員として潜りこみ,協会トップの了解をえて,会場内の用排水の需給とその循環による熱調整の総合化を構想し,計測・診断過程を含む施設設計もして,関連メーカーからの技術調達を含めたR&Dの稟議書を書いたのだ.協会内部ではこれが通ったのだが,ある日大阪府から呼び出され,約10人の技術系課長連から計画撤回を迫られたそうだ.理由を問うと,ただ一言「公共事業が伸びない」.急先鋒だった道路課長のM・Yの名前を死んでも忘れんぞ,と先生はいつもいう.去年の道路公団民営化の問題で道路○賊に対する隻眼流の筆鋒が鋭かったのは,先生の万博後遺症に違いない.
 もうひとつは1972年,環境庁予算として一括計上された「豊橋市都市農村環境整備実験事業」に対し,先生は原案を作成したシンクタンクのP社と組んで仕事をする予定だった.ところが計画のキーにはごみの脱焼却があったので,事業費の減少を恐れた重機メーカーが暗躍し,農業セクターを反対に回らせたのだ.このため事業の大幅な修正と農協への再勧誘のための15年もの月日が空費されたのである.P社の思想は,重機メーカーにとっては「目の上の瘤」で,自民党の韓国lobby(福田赳夫がドン)が動いて,同社が国際的に落札したSeoul圏の脱焼却事業の結果を入れ替えさせるという手荒いこともしたのである.が,この種のことは一切報道されていない.

見えにくい負の遺産を学者は自覚せよ!
 世界共通認識で環境元年になったのは,リオ会議が開かれた92年だろう.94年にはリオのfollow-up会議が東京であり,そのための大阪での予備会議をまとめる役割が私に回ってきた.ところが,東京の本会議の開会式でのUNEP御用学者の挨拶には失望した.全然迫力がなくて,地球環境問題の重要性を訴えるlip service以外の何物でもなかった.「日本のお父さんたちは忙しすぎて地球のことを考える暇がない」と報告した子供会議の代表(広島の小6男子)のほうがはるかにimpactがあった.UNEPは先進国と途上国の軋みの調整に手間どって,先進国の負の遺産を完全には担っていないというのが私の印象だ.EUや「緑の党」は少し違うといえるだろう.負の遺産がたまる理由は何か? 短絡的にいえば,近代化への過度ののめり込み,人間労働を根本的にshiftした産業革命の惰性,などであろう.のめり込みや惰性をlip service化すると,「伝統的」という耳触りのよい言葉になる.しかしこれが曲者で,従来の制度や習慣を改革したくないときに「伝統」が重視されるのではないか.
 1972年に土木学会は、「公害源としての土木事業」が責任は取らないが言訳用の組織として,衛生工学委員会の下部に環境問題小委員会を置くことを決めた。「一本だちを」という小委員会メンバーの懇請に応じて隻眼先生が動いた.しかし相当の苦労があったらしく,02年の30周年総会に出た先生のvideo messageは,一本だちした環境システム委員会が「土木の負の遺産」を背負っている,という遺言だった.先輩の姑息なやり口を表向きには糾弾できないし,同時に若い研究者がなんとなく環境の世紀の空気をenjoyしている安易な風潮に,先生は堪えがたかったのだろう.
 隻眼先生の今年の大仕事だという『産業技術史事典』編集でも,伝統的な産業技術の約30章の内容がほぼ決まってから「環境技術」が追加になったという.その理由は,伝統のままでは足尾鉱毒事件や水俣病のおさまりが悪いからだと聞いて,先生はだいぶ怒ったらしい.

産業構造の転換を達成できるのは誰か?
 以上のような考察をすると,伝統や歴史という表現の使われ方に注意を払うべきことになる.私が科学・技術の評価法に疑義を挟む根拠は,主として次の3種類の事実認識にもとづいている.
イ)今はちょうど,独立行政法人化を中心とする大学の再編期で,文部科学省の眞の意図がどこにあるのかは知るよしもないが,声高に叫ばれる産学連携,法科大学院の新設,COE(Center of Excellence)の格づけ,第三者評価委員会の設置,などの風が吹きまくり,科学・技術の評価基準自体が揺さぶられていること.
ロ)日本でノーベル賞の受賞者が次第に増加したのは一応は慶賀すべきだが,スーパーカミオカンデにもとづく業績で物理学賞を得た小柴昌俊が,この施設が更なる受賞者を生み出すぞ、と予言する一方で,論文の質量とも貧弱な田中耕一が化学賞を得て聊か迷惑気味(でも受賞を断わる勇気はない)だった状況を分析した西村 肇の著書『日本破産を生き残ろう』(日本評論社,03年)が,ノーベル賞自体の裏側をも抉り出したこと.私には西村と同じ分析力はないが,実験過程での失敗から生まれた業績だと聞いて,へーっ?と思ったのは本当だ.西村は,複数の候補者レベルで起こっていた鞘当てを,田中に漁夫の利を与えることで問題を解決したのだと述べている.
ハ)日本発の賞金5,000万円級の国際賞(特に環境分野に多い)の審査関連で,審査員の目が節穴ではないか? という疑義は,去年の隻眼シリーズの(終)に提出ずみである.
 さて,今年1月9日の『毎日』社説は, 活性化しつつある環境ビジネスが公共事業化しないように,「産業構造の転換につなげよ」と説いた. しかし, 2020年の事業規模約60兆円, 雇用123万人という数字は,かつての建設産業の90兆円,500万人とそれほど遜色はない.もし古賀 誠親分のようなのが出現したら,環境ビジネスが道路公団化すること請け合いだ.環境庁政務次官だったM・T(死亡)とK・T(落選中)にこの気配がみえた.猪瀬直樹や川本裕子のような役柄を担える人材は果たして環境分野にいるのか? 下手をすると,国交省のお先棒をかついで味噌をつけたN・Hのように進退きわ谷まることもあるだろう。彼はM工大生にどんな顔で講義をしていたのか.
 私は当面の仮説として,『毎日』のいう転換は,女性の起業主でないとできないと考える.その候補のひとりとして,まだ面識はないが,女性ばかり8人の企業クレアンの代表薗田綾子を挙げておこう.情報はここに出入りしている私の元秘書S・Aから来ている.どこにも薗田やSの記名はなかったが,クレアン作の松下電器の「02年度環境報告書」が最優秀賞を得たのである.

                 (流石 さざれ/評論家)