弟子筋コラム  
隻眼先生の環境マンダラ(連載第14回)

  環境ビジネスのプロデユーサー

しばらくご無沙汰していた隻眼先生を訪ねたら,まさにご機嫌斜め,どうも去年から怒りっ放しではないか.だが今年の相手は必ずしもBushだけではないようで,大事なところを誤魔化す新聞,ウソをウソで固めて本当らしく見せる政府,イラクのボランティアやその家族をbashingする一部国民,そしてこれらを常態化させて平気な日本大衆・・・,私も全く同じ怒りの心境だ.

環境シンクタンクの新しい動き   
 4月号にも書いたように,大学の法人化とそれにまつわる課題−特に大学人の業績の評価−は,研究論文の数だけでは無意味なことがハッキリしているのに,別案を議論しようという気配すらない.教育の力量評価が提起されて久しいのに,企業の成果主義のような方法が検討された痕跡もないのだが,4月号で期待を込めて名指した薗田綾子の経歴を調べているうちに,私はひとつのことに気がついた.大学での講義のうまさを表すキーワードに,一こえ,二ふし,三おとこ,というのがあって,環境ビジネスの場合には,「聴かせる」「読ませる」「魅せる」方法が組み込まれていなければならぬのでは?と思い至ったのだ.「魅せる」点では明らかに女性が有利だ.これには反論も出るだろうが,環境マンダラ(12)の烈女たちにも共通している.そして次は,ビジネスの「ツボ」を外さないということになるのではないか.
 「ツボ」でわかりにくければ、急所である.烈女列伝のうちで薗田に一番似ているのは藤井絢子に違いない.偶然だが,ふたりの「あやこ」である.薗田のクレアンの設立は1988年,藤井の滋賀県環境生協は1990年である.敢えて違いを探すと,薗田はマスコミや学会には登場しないが,藤井は全く逆で,ことによると,藤井がツボを誤る原因になるかもしれない.それはなぜか.
 隻眼先生を批判するわけではないが,いま人口に膾炙している「循環・共生」を30年も昔に指摘したのはよかったとしても,いま後続者のアプローチがおかしい,と憤ってもしようがない.やはり「天の時」「地の利」「人の和」が揃わないと,ツボにはならぬのだ.Internetに薗田が登場するページを根気よく調べていくと,大学人と並んでは出てこないのである.かわりに,私もよく知っている「環境プロデューサー」たちと並んで出てくる.中でも野村総研の米村洋一がいたのは要注意である.私が知る限りでは,彼こそ日本の「環境プロデューサー」の総帥と呼べる人なのだ.隻眼先生にも異論はないはずで,私に米村を紹介してくれたのは先生である.
 ここに裏情報を加えてみる.去年の初め,世界水フォーラムと同時期に「琵琶湖・淀川流域委員会」が開かれた.この事務局をM総研が務めていたのは知っていたが,ごく最近,琵琶湖万民会議を標榜するT・Hから「(国交省)近畿地方整備局がM総研の指導体制下に入った」というmessageが届いた.Mが野村総研の後塵を拝していたのは明らかだが,隻眼先生の直弟子でいまや飛ぶ鳥を落とす勢いの環境経済学のtop runner U・Kの採用をMが断わった約25年前と比べると,事態は激変したといってもいいだろう.これを大学の裏事情通でもあるN・Kに話したら,Mは文部科学省の審査も受注している,という反応があった.

環境リスクマネジメント学科は何をするか
 大型の公共事業やハコモノでは,とっくの昔に官が民の軍門に下っているのだが,『環境ビジネス』5月号(通巻23号)を見ていて,あれっ?と思う記事にであった.合流式下水道の改善のための施行令改正で新規参入が活発化したというのだ.これだって民が先に手をつけたのは自明だが,それを先導したのは実は大学なのだ.しかし,大学にはプロデュースの機能が欠けていたのだ,といわざるをえない.さてここで,まだ続きそうな大学の改組拡充に,Mのような頭脳集団が文部科学省で一役買っているとすればどうなるのだろう.私は,「吉備国際大学」に注目することにした.
 この大学は岡山県高梁市にあって、1967年以来順正短期大学として,保健や福祉に重点をおいていた.詳細は略すが,4年制になったのが94年で,今年から「政策マネジメント学部」を新設し,ここに「知的財産マネジメント」と「環境リスクマネジメント」の2学科を設置したのである.
 両学科の学生定員は80で,教員数はそれぞれ8, 12人だから,「これは大変だ」というのが私の実感である.HPが謳っているように,社会的internshipをフル活用しないと教育目的は達せられまい.学部長K・Aと環境リスクマネジメント学科長M・Sの従来の専門を私はよく知っている.前任大学(それぞれ,京大と岡大)での業積をそのままもち込んだのでは,HPがいう「文理融合」はやはり無理だろうな,というのが正直な感想である.だから,私が知らない教員の中にMBAをもったM総研経由の人がいるとして,彼/彼女らがいかなる陰の力を発揮するか!?でツボの深さが決まるわけだ.でも,N・Kはこう言った.アメリカのMBAももう昔日の威光はないのだ,と.
 万民会議のT・Hは,他にもっとスゴイことを調べてきた.福澤諭吉いわく,「不毛の大地だった北海道に,あれこれ官制の規則を定めずに(役人の仕事を増やさずに),入植者に自由に仕事をさせよ」(『時事新報論集』福澤諭吉全集, 12巻,1889)と.しかし資本のない者には土地を開放せず,移住民とは三菱・三井などの資本だと1886年に法律が定めたそうだ.だから,諭吉は環境破壊の元凶になるという論法である.私はここまで深読みをしなくても,とも思うが,長年月の間には結果的に,官・産・学がまわりもちで一種の悪巧みをし,一般人は,首尾一貫「知ラシムベカラズ,依ラシムベシ」にとどめおかれたのである.

環境科学自体を構造特区に入れよう
 環境思想史というような立場にたって,過去100年の見直しをせねば,「環境ソリュ―ション学」など得体の知れない分野は,百害あって一利なしである.これこそ100年の大計ではないか.
 今度の連載では,この見直しに役だつ例をなるべく多く挙げるつもりだが,今日は比較的up-to-dateな問題から1例を挙げておく.『日経エコロジー』59号(04年5月)では「環境、究極のQ&A」という特集で,産廃不法投棄量公表データのウソ,CO2排出量のカウント法など10項目を例に,ワリと読ませる記事を載せていた.その中で「トヨタのPRIUSへの乗り換え時期」の検討は,LCA(life cycle assessment)としての意義は大きいが,さらなる考察余地も示唆してくれる.
 結論だけを引用する.向こう28年間,年5千kmの割で車を使い,8年ごとに乗り換えるとして,いま所有しているガソリン車をいつPRIUSに乗り換えればいいかの分析である.答えは,あと4年(2万km)で乗り換えよ,なのだが,他の条件の場合と比べて28年後のCO2累積排出量の差は35〜37tが31tに減るだけである.しかもPRIUSがまだ割高だということは無視されている.同誌は1行も触れていないが,運転者が次第に高齢化する自動車社会,LRT(light rail transportation)などの代替的都市交通の問題と,よく例題になるおむつや食器洗いの環境負荷の問題とを合算して,ある規模の市民集団が比較衡量する方向の重要性は見えてこないのである.こういう仕事も環境科学の範疇に入れるべきかどうかはわからないが,いますぐ私がいえるのは,学会誌の特集やシンポジウムなどで侃々諤々するよりも,同好の士を集めて環境(+経済)構造特区を構成させる方がはるかに有効だということである.この場合にも,米村流の環境プロデューサーの役割が大きいことを私は経験ずみである.
 このような演出の仕方は,いまあちこちで無数に繰り広げられている「自然観察」「ごみ減量」「リサイクル」「グリーン購入」「市街地再活性化」などのイベントとは一味違う.NPOの「環境市民」が新型の都市tourismの一環として,E電鉄の車体に沿線の森を表象的に描き,同時に中吊り広告の代わりに同じ森の写真や画の展示スペースにした卓抜な例があった.この場合はE電を特区の中に抱き込むことに成功したのだが,電車やバスの車体を奇抜で極彩色の広告媒体化する形で全国に普及してしまった.私に言わせれば,沿線にある景勝地の社寺・料亭やいくつかの大学・高校の参加も求めて,環境・社会計画実験区を創ることには思い及ばなかったのである.

                 (流石 さざれ/評論家)