弟子筋コラム  
隻眼先生の環境マンダラ(連載第17回)

  
     人気と実力のはざま

 『週刊金曜日』にたいへん意気のいい政治批評家が登場した.大藤理子である.政治家や芸能人などの人気を上げ下げするのは,要はマスコミで,そのスタイルの総元締めがNHK,しかもNHK流は自民党流だそうで,われわれはこの惰性に気づかねばならぬ,という.人気に乗って威張りすぎたために消されたタレントが田原俊彦なのだそうな.今度の内閣改造でも,TVに顔をさらしているうちに小泉の次期だと人気を上げてきた奴がいる.そのうちのひとりA・Sの今年4月の発言で,私には絶対許せないことがあるのだが,マスコミは水に流してしまったようだ.

環境配慮の度合は正当に量られているか
 私じしん隻眼先生の尻馬に乗って,大学や企業がranking会社に点をつけられるよりも,つける側にまわろう,という意識をもっていた. Standard & Poor’sやMoody’sの名が頻繁に新聞に出始めたので,なんとかその内幕を探り当てて,市民ボランティア活動のマンネリ化を防ぎたい,とも考えていた.格付けの最初の対象は,まず生命保険会社に始まって、次に金融系一般に移った.ごく最近は,一般企業に対して環境格付けをするケースが増えてきている.できればこの中味を知りたいと思って,『日経エコロジー』(日経BP社)や『環境ビジネス』(宣伝会議)の購読を始めたが,まだこれという報告には出あわず,環境分野ごとの新事業の活況が紹介されているにすぎない.
 これらに比べると,『選択』では「環境一般」が記事になることは非常に少なく,本誌10月号にふれた「水問題」とも共通している.その『選択』(04年7月号)が「環境格付けが企業を変える−低いと致命傷になりかねない時代に」という報告を掲載したのだ.タイトル部に牛肉偽装で雪印食品の社長が頭を下げている写真を入れたのはチグハグだが,環境ランクが低ければ,いずれ「社長は謝長に」という皮肉を込めたとも受け取れる.
 さて内容の要旨は,「企業は環境を破壊する元凶と言われ続けてきた」と自省を述べ,いまや企業が環境問題にどう取り組んでいるか,を投資家や消費者が厳しくチェックし始めている,として,環境格付けの高い企業への環境融資制度,高格付け会社だけの株式を運用する「エコ・ファンド」などを紹介して,格付けという行為が「企業」「投資家」「消費者」の態度を変えつつあることを強調しているのである.日本経団連のAction Planもこれと完全に共通しているともいう.
 『選択』7月号には,トーマツ審査評価機構によるA以上の企業23社だけの03年度の格付け結果が引用されているが,この引用表の字が小さくてほとんど読めないから,読者各自でinternetの検索をされたい(http://www.teco.tohmatsu.co.jp/kakutsukekijun.html).AAAは1社(トヨタ自動車)だけで,「環境への取り組みが極めて優れており,将来においても重大な環境問題が発生するリスクは極めて小さい」という表現で,CO2削減やISO基準取得などのレベルが示されている.
 だが待てよ.AAは,ソニー,リコーグループ,セイコーエプソン,富士ゼロックスの4社なのだが,トヨタを含めこれらの各社は,いつも顔を出す人気企業ではないか.AA組が生産している物が環境負荷を増大するとは必ずしも思えないが,トヨタはどうか.確かに本格的に生産販売を始めたhybrid車Priusは,1500cc級で約250万円程度,高意識層ならすぐにでも乗り換えるだろう.だが中国への輸出車の中心はPriusか?自動車が依然として走る凶器であることはどうなっているのか? K・G大学某教授が究極の電気自動車の速度を400km/hrにしてその実現に迫っていることをNHKが報じていたが,これなど狂気以外の何物でもあるまい.いかに環境格付けであっても,衣の下の鎧は見え見えだ,と私は思う.つまり人気は実力の表現では決してないのだ.

環境系大学の人気とは
 数ヶ月前新聞紙上で,有名私立大学にAAとかAaなどの印がついているのを発見して,いよいよ来たか!と思った.ただしこの時は,「なぜAAか」という詮索はしようがない情報公開だったので,大学界に嵐が吹き荒れるという状況にはまったく至らなかった.
 大学ではあと2〜3年で,全体としては全入状況になり,当然定員の2割くらいしか学生を集められない不人気大学が出てくる.そのために諸大学はまず何をしてきたか? 名目的には「改組拡充」というふれこみで,学部や学科の名称に工夫を凝らしたのである.ただし所属の教員をいっせいに入れ替えるなどの手荒いことは一切していない.名前としてもいかにも古臭い鉱山学部や鉱山学科が,さらに頻発した鉱山爆発によって人気が急落した.これは旧帝大でもいかんともし難かった.しかし資源工学科と名称変更して人気問題は一挙に解決した.旧文部省は名称変更を許可する代わりに種々の条件を課したりした.最近の例では,化学系が物質創製工学を謳い,また地球を冠することが常識化して,土木や衛生も消えてしまった.だが果たして新名称の期待する人材が本当に養成されているのだろうか.
 Yahooでいろいろ探していると,富士常葉(とこは)大学環境防災学部という珍しい「冠環境」が出てきた.元NHKの災害担当解説者や,元建設省風土研の人など,なるほどという陣容だが,助教授の松田美夜子をみつけて私はびっくりした.彼女は資源ごみ分別収集の川口方式の開発で有名になり,川口市議にもなった.「世界の素敵なゴミ仲間」を700人も擁しているのだから,今更大学でもあるまいに,と私は思う.松田が力を抜くと,「ゴミ仲間」のほうがそのうちにマンネリ化するはずだ.終着駅に大学を選ぶ人は,「人気」と「実力」を履き違えていないかをよく見極める必要がある.

実力というものは本当に存在するのか
 話題を一転するが,今年7月18日に「NHKスペシャル」の「トラック列島3万キロ」を見て私は唸ってしまった.内容はトラック運転手たちが命を削られていることだった.T運送は速度違反と過積載厳禁で運営していたのに,荷主からJust In Time方式(トヨタ自動車の発案である)を強制され,運転手の勤務条件はいっそう過酷になる.さらに現実に(三菱ふそう車ではないのに)ハブ欠陥により脱輪事故が起きてしまい,会社も運転手も進退谷(きわ)まるのだ.日本全体がこういう状況にあるのではないか.だから実力満々と思っていてもそれは皆架空のものなのだ.遠距離の貨物輸送はすぐにでもJR貨物に戻すべきだ.CO2発生が激減することも請け合いである.
 堺屋太一が「知価社会」と言い出したのは1980年頃だった.その頃に経済だけが実力という誤謬に気づいていたなら,もう少し余裕のある,人気とも無縁の実力社会が形成されてきたに違いない.当時私は隻眼先生の子分として,合意形成の科学化の研究をしていた.経済学の大御所だった建元正弘(故人)に協力を求めに行ったところ、「そんな研究はムリと違うか? 相手をブン殴って合意させるほうがよく使われるんだからな」と言われて驚いたことがある.なるほど,最後の実力は武力なのだ.しかしもしそうなら,毎年約1万編に近い経済学論文が書かれていることを何と解するか?辛辣にいえば,ただの学者の遊びではないか.どの分野の論文でも,読むのは著者自身と審査員だけだ,とよく言われるのだ.
 もう一度話題を転じる.7月21日NHK「その時歴史が動いた」は,自然保護運動家・南方熊楠を取り上げた.1906年明治政府が神社合祀令を出し,これに対して熊楠が反対運動を繰り広げた話であった。1918年3月に合祀令は廃止になるのだが,その最大の功労者が熊楠である.でも彼がひとりで実力行使したわけではない.彼が林業講習会に乱入して逮捕・留置された時,柳田国男の協力を得たこと,和歌山県選出の帝国議会議員中村敬次郎が国会演説をしたのは事実だが,全体としてみれば,熊楠の文筆が最大の実力であった.しかしその内容は,巨木を伐採することに対する森林経済学的な反対だけではなく,鎮守の神様をめぐる村民の活動など,林学の範囲をはるかに越えるエコロジーが駆使されたのである.
 番組が最後に紹介した熊楠の晩年の発言は意味深長である.「宇宙万物は無尽なり.ただし人すでに心あり,そして心の能うだけの楽しみを宇宙から取る.宇宙の幾分を化して己の楽しみとす.これを智と称することか?」つまり知=智として,それさえ矮小化されることを彼は嘆いているようだ.


                 (流石 さざれ/評論家)