弟子筋コラム  
隻眼先生の環境マンダラ(連載第2回)
     
     政治も環境も他人事ではない

 
第1回目の刷り上がりを見た隻眼先生から,「マンダラに行く前に政治時評をもう少しさせて欲しいです.それからついでに,前回松浪健四郎を引用しているところは,彼が自民党員のような誤解を与えるから「現在は保守新党の松浪が与党の道路族の前で・・・」としたほうがいいですね」と注文が出た.
「政治はもちろん僕の守備範囲外なんですが,風刺のネタは政治の分野に一番多いのでね.また北朝鮮やイラクなど、国際問題がいつなんどきどう転ぶかも見透せません.別の意味では情報が多すぎるからでしょうか.昔論壇時評をやった時はアメリカの週刊誌も参考にしたのですが,今は便利になったねー.インターネットも駆使できるし,また例えば『週刊金曜日』には,社会学のI. WallersteinのHPの抜粋が掲載されたり,つる霍見芳浩(New York市立大)の日本への厳しい意見の投稿も載るなど,政治の読み方や補助線の引き方にはもってこいです.」
――先生も『金曜日』の読者ですか.
 「あぁ創刊号からね.去年の秋に早稲田大学の学生が拉致被害者の家族と研究会を開いた時,いったん招いた筑紫哲也が編集委員だと知って慌てて断わったのはみっともなかったです.筑紫がやはり反権力の『朝日ジャーナル』の編集長だったてことは今誰も知らんのでしょうね.外務省も元工作員の青山健煕に同じ事をやりましたねー.それにしても外交戦略を持たない家族会が北への強硬路線を言いたてるのには外務省も辟易してるのではないかなー.同志社や中央大でも家族会の講演を開いていたし,マスコミに煽られて日本中が拉致被害者の家族みたいになっていく.お盆の上の豆の典型例です.僕はすぐ日露戦争後のPortsmouth条約のことに頭が行くのですよ.」
――それはどんな条約ですか?
 「えっ,知らんのですか.自分で調べることですね.日本海海戦以外はほとんど負けていたのよ.アメリカに仲裁を頼み,イギリスにも手をまわして,朝鮮領有をロシアにも認めさすことを含んだ調印を小村寿太郎らがやったのですが,国民が日本外交の弱腰を言い募って色々事件を起こしたんです.条約の締結が1905年,伊藤博文の暗殺が1909年,朝鮮の抗日運動は以来約1世紀も続いてるのよ.ついでに西木正明の『冬のアゼリア』(文芸春秋)も読んでごらんなさい.金 日成の前身らしい人が主役です.外交とは権謀術数の塊で,川口外相も中山参与も頼りなげですわね.Bushの本心が何かも本当はわかりにくい.」

 Bushはノーベル平和賞が欲しい?
 「Bushはノーベル平和賞が欲しいのでは,というのは僕の超皮肉な大仮説だけどね.Colin Powell国務長官は,前のBushが湾岸戦争をやったときの国連軍総司令官だった.2000年の激しい大統領選挙の後,Bush Jr.とPowellの組合わせに,僕はあっまたやるなと直感した.ただアフガンの実情はあまり知らなくて,最初からイラクだと思っていた.アメリカの友人から来る手紙にはいつもBushの悪口が書いてあって,BushはELNINOには勝てんだろう,ELNINOが引き起こすミニ氷河時代(北極の氷が融けて北半球の海水温が10年ほどは低下すること)にもね.BushでもShrubでも結局はMr. Stupidだとかね,揶揄をして楽しんでいるようです.つまりアメリカ市民はわりと健全で面従腹背のようですが,中間選挙の投票率がたった30%だったそうですから,大多数の国民は,もうBushに「勝手にせよ」と思っているのかなー.でももし本当に戦争をやったら北にいる Jenkinsのような人がいっぱい出てくる可能性があります.で,Bushはギリギリになって振り上げた拳骨を降ろして外交で平和を実現したと威張るのでないかな.去年のノーベル平和賞のJimmy Carterとも会っている.金 大中も賞を金で買った.沖縄返還を鼻にかけていた佐藤栄作に至っては,アメリカが沖縄に払うべき400万$を日本政府が内緒で払って,これでノーベル賞を貰った.この金額をアメリカは公開したのに,わが政府はまったく知らん顔をしていますよ.」
――国際政治の舞台裏は実に複雑怪奇ですねー.こういう読み方が隻眼流なのですね.少しはわかったような気がします。

 舞い上がる政治屋は久しからず
 「えー,アメリカは日本の弱みを突いていつなんどき昔の密約情報を公表してくるかわかりません.僕は高速道路絶対反対ではないですが,猪瀬直樹の『日本国の研究』(岩波新書)を読めば,道路公団にまつわる「政・官・業」の鉄の結束がよくわかります.でも,永田町の道路三悪人(江藤・亀井・古賀,ある週刊誌は「堪え難い悪相」と書いていた)は,一見権謀を振るっているかのようにみえて,50年ほども前のことをちゃんと押さえているとは思えない.道路公団民営化推進委員会の最終報告に,「ド素人の無礼者!撤回せよ」と恫喝しているのは鈴木宗男とそっくりですね.「小泉総理はもうlame duckだ」と決めつけたいのかもしれない.他のことを知らんから舞い上がれるのです.驕る平家・・・・と同じですわ.三悪人をモー娘に喩えたkeywordが「舞い上がり」です.風刺が効いたかどうかは,腹立ちまぎれについた悪態を他のことにうまく喩えられたかどうかで決まるのです.」
 (―やはりモー娘。はイマイチだなー.)これはわたしの感想だ.
 先生がいう50年前のこととは,1956年にアメリカから来た Ralph. J. Watkins調査団のことだった.大学の土木工学科でまだ道路工学がそう重要科目でなかった時に,建設省は「日本に高速道路が必要だ」というお墨付きが欲しいのだな,とわたしも直感した覚えがある.その直後に,大学の土質研究者が新設の日本道路公団に引き抜かれて,京都・山科の試験工区で露盤の安定化など,非常に慎重なテストをやっていた.今のように「そこのけそこのけ高速道路が通る」という雰囲気ではまったくなかったのである.
当時はまったく報道されなかったが,この調査団には経済学者の宇沢弘文がただひとりの日本人代表として参加していた.後年彼が自動車と道路を反公害と社会的費用の立場から批判し始めた頃の論文で「アメリカ流の考えに反対したが黙殺された」と述べたことは,調査団以上に闇の中だろう.
 自民党の道路族は補正予算の「公共投資」を「公共事業」と読み替えて,高速道路の工事の発注を強行するだろう,と先生はいう.先生はさらにAlex Kerrの『犬と鬼−知られざる日本の肖像』(講談社)と杉田 望の小説『巨悪』(小学館文庫)を読めばいいと薦めてくれた.
「Kerrの第1章は「土建国家日本」で,高速道路が自然を破壊し尽くした.Kerrはこれを「鬼」と表現したのです.穏やかな農村を突っぱしる高速道路が山裾を削り,それでできた醜悪な斜面防護工が表紙の写真になっています.」
――それはわたしも心得ています.日本の建設産業もそして自動車産業もそれぞれGDPの20%も占めていて世界一,第2位のドイツは7%ですものね.
「うん,間違いないです.杉田はもっと短刀直入で,名前は全部仮名に変えてあるが,若築建設やイトマンに詐欺をしかけた許 永中と,すぐ亀井とわかる元運輸大臣/建設大臣に若築が4000万円を料亭で手渡す場面も描写されている.亀井はすでに地検の事情聴取も受けているのですよ.あとのふたりはなかなか尻尾を出さないようだけれどね.」
――へぇー,それは知りませんでした.そういうのはどこで探すのですか?
「やっぱり頭の引き出しを開け閉めしながら,雑誌や新聞の小さな記事を見逃さないことですよ.」
うーん,わたしは唸らざるをえない.日本は議会制民主主義で議院内閣制だと皆がバカのひとつ覚えのようにいう.前者の大きな欠陥は長野県で実証済みだし,後者に学者や民間人が出入りするのが与党には気に食わないのだろう.もしそうならもっとシッカリした外務大臣を出せ!と先生は言いたげでもある.もし小泉がつぶれなければ「首相公選制」が実現することもありうるのに.
やっと環境マンダラの裾野に辿りついたようである.というのは,隻眼先生は,簡単に環境々々と唱えて「舞い上がっている」連中が大嫌いなのだな,という見当がつくからだ.

 MANDA=心髄?, LA=獲得?
 ここでしばらくわたしは隻眼先生と「曼荼羅」論争を試みた.最も一般的な曼荼羅では,必ず色鮮やかにたくさんの仏像が方眼に並んでいる.わたしの元同僚に真言密教に凝っていたS・Hがいて,それだけでなく彼は国学院大学の通信教育を受けて,神職の資格まで取っていたのだ.定年後は泉南に新設された航空神社の神主の職が決まっていたという噂も聞いた.その彼はいつも,独特の曼荼羅図−太陽を女性として中心に置く宇宙の生成模様−を描いて,一席ぶったものだった.わたしはMANDAが「心髄・本質」,LAが「得る」ということは知っていたが,その上に「環境」をかぶせようとは夢にも思っていなかった.
 隻眼先生は,「環境教育」とか「環境研究」という用語法や,英語のenvironmental education, environmental researchなども気にくわなくて,京都のS短大の国際交流課に勤めていたKen Rodgers に相談をもちかけた.Kenが環境ボランティアもしていたからだという.Kenの答にも不満だった先生に,Kenは仲間のMaura Hurleyのことを書いた"Asahi Evening News"のコラムを見せたのだ.1993年のことである.Mauraはアメリカから京都に仏教の研究に来ていて,そのコラムの中で先生はMauraが"Environmental Mandala"と言っているのを見つけて膝をたたいたのだそうだ.仏教研究がどうなったか,Mauraは今もまだ京都にいて,JEE(Japan Environmental Exchange)の活動を続けている.
先生はわたしが引用したS・H流の曼荼羅には首を縦にふらず,環境と宗教との関係にはいずれふれるが,と断わって,「心髄も獲得も関係ない」といい切った.
「だいぶ前にね,なんとなくインドの巡礼僧のTV特番を見ていたら,本山に着いた各グループごとに曼荼羅づくりを始めたのです.本堂の真中の大きな盤に撒き散らしてある赤青黄黒白に染め分けられた砂粒をね,色ごとに選りわけて,図柄つくりを始めたわけ.たしか数日はかかっていたと思います。しかしできあがった物には別に釈迦や仏像が並んでいるのではなく,訳はよくわからないが,美しい模様にはなっている.ところが僧たちは作り上げた曼荼羅をあっという間に掌でかき混ぜて元の木阿弥にしてしまったんです.そこで次のグループが取りかかる.修行とはこういうことの繰り返しでしょう.このTVのシーンを覚えていた僕は,環境マンダラも永久に完成しないものなんだと納得したのです.」 

 環境マンダラも隻眼で見よう
わたしも「環境マンダラは未完成透視図」だと確信できた.でも,システム化された政治的悪行や国家犯罪がこれほど多いと,その影で環境問題などはほんの微風で吹き飛んでしまいそうである.さきほど「環境マンダラの裾野に辿りついた」と書いたが,いざその場に立ってみると,隻眼を3つも4つも用意しないと,本当に研究すべき課題も見えてこないな、という実感が湧き出るのだ.
折りしもNHKTV「クローズアップ現代」が,「3億円の受注工作資金」と題して,代理店を介した三井造船による豊橋市焼却炉の不正受注事件に迫った(02.12.18).懸案の焼却炉は多分熔融炉だと思うが,わたしの想像では,代理店とはおそらく○暴との繋がりがあるところだ.でもマスコミはまだ実名にはモザイクをかけねば放送できない.よく似た推理小説に,黒川博行『疫病神』(新潮社)がある.産廃の最終処分地の決定に暗躍する○暴的業者が実によく勉強していること,関西と関東の処分コストの違う地形的背景まで,著者は実に的確に取材したことがわかるのである.『疫病神』は映画化されたのに,遂に一般劇場では公開されなかった.
本人の名誉のため特に名を秘すが,ある拉致帰国者の父親が,「肉を買ってきたトレイを捨てようとしたら,息子が「北ではそれを洗ってもう一度使うんだ」というた」と講演で話した.北はそれほど貧しいのだ,というやや侮蔑的な口ぶりだったが,資源の再利用やリサイクルのためには,トレイの再利用は当たりまえのことではないか.先生の意見を質したら,今度はウーンと唸るだけだった.                         

                    (さすが流石 さざれ/文筆業)