弟子筋コラム  
隻眼先生の環境マンダラ(連載第5回)

     水問題:瞬間風速かつむじ旋風か

隻眼先生の昔の専門が水問題なので,水フォーラムを話題にすべきかどうか尋ねたら,「3月の催しを5月号ではなー」と先生も困っていた.5月の陽気で皆ノーテンキになり,水問題も色褪せるのか.昨今少し熱気を増してきた水議論がScott Ritterのいう瞬間風速なのか,もう少し激しい旋風になりうるのか,隻眼流で透視してもらうことにした.

淀川水系流域委員会提言のできばえ
この委員会は,国交省近畿地方整備局が01年2月に設置したもので,「河川整備の理念の転換」と題する提言がまとまったという全紙大の広告が2月21日の『毎日』に出た.冊子の入手方法もあったので,私は早速注文した.97年の改正河川法を受けてというふれこみだが,既に日本開催が決まっていた世界水フォーラムとの関係づけはないようだ.隻眼先生の名前を探したが見当たらなかったので,なぜ声がかからなかったのかをまず聞いてみた.
「そりゃねー君,僕はもう過去の人ですよ.フォーラムのことは松井三郎から聞いて,3年前から承知してましたが,どこからも声がかかるはずはないですよ.へそ曲がりだしね.でも君が心配してくれるなら,最近の水問題の時評の内容も含め,25年くらい前に僕が指摘したことがやっと出てきたということを今日は話さしてもらって,それで僕自身の「過去からの訣別」をしたいのです.」−なんだか大袈裟ですねー.「かもね.でもね,ダム計画がムダだと分かっていても最初の立案者が死なないと計画を中止できないのと同じでしょうが.」−うっへー,そんなつもりで言ったんではないですが.
「いーや構わない.それでどうでしたか,提言のできばえは.僕は委員会のHPを覗いてみて,まぁこんなものかな,という感想です.脱ダム転換派の委員もおいでだけれど,ズバッと名指しすべき御用学者も何人か委員に入っていますからね.」
先生のように鋭くはいえないが,私がひと口で片づけるとすれば,提言の論旨の本体は完全な役所用語,「どうするかが重要だ」「よく検討して適正に処理する」式で埋まっているように思えてならない.新河川法には「地域住民の意見を反映する」とあり,55人の委員中15人が「地域特性に詳し」くて,この比率こそ従来よりたしかに高いけれども、彼らの意見は提言の中でいまひとつ明瞭ではないのである.

脱ダムの論拠の妥当性−TVAとの比較
世界水フォーラムの開催日が迫ってくると,新聞やTVが取り上げる頻度も多くなってきた.3月14日づけの『毎日』は,会期中に「日米ダム撤去委員会」が結成されると報じた.日本側は田中康夫をheadに長柄河口堰で名を挙げた天野礼子らが中心だという.しかし私の関心は,撤去もさることながら,ダム発案から着工までの期間が長すぎることで,一例が揖斐川の徳山ダム(岐阜県藤橋村)である.97年に強制収用をちらつかせて着工したが,ここまで30年はかかったと思う.辛抱しきれない反対住民を次々と脱落させていくような時間延長作戦が,日本の各地で展開されてきたのではないか.
「ここでだけ気炎を上げてもしようがないな.鳥取の片山善博知事が担当部長を問いつめて,治水用のダムのコストは低く見積もり,河道整備費を割増して,ダム建設に仕事を向けたことを白状させたような手腕を首長が発揮しないとね.水フォーラムの事務局長の尾田榮章(元建設省河川局長)がどこで言ったのかは不明ですが,洪水管理のためにダムが必要というお墨付きがほしいのでは?と,後で引用する中西準子の時評には書いてありますよ.」
――アメリカではもう500ものダムを撤去したようですが.日本との主な違いは何でしょうか?
「ダム工事の最盛期の違いはさておいて,やはり計画決定方式が最大の問題でしょうな.僕らが学生時分にはTVA(Tennessee Valley Authority)のやり方だといって,耳にタコができるくらい聞かされたのが,多目的ダムのcost allocationでした.ところがね,初版が44年で74年に岩波から翻訳が出たD. Lilienthalの"TVA"を読んでみると,cost allocationなど全然なくて,主題は草の根民主主義でした.80年頃にTVAでの住民参加の様子を取材した映画を見ましたが,とにかく腰を据えて徹底した議論をやってましたね.逆に日本では,68年の映画「黒部の太陽」(熊井 啓(監督)・主演:三船敏郎・石原裕次郎)が男のロマンで大当たりし,土木が工学部第一の人気学科になったのもダム屋増加の一因として無視できません.今なら山奥のダム現場への就職を希望する学生は多分いないでしょうがね.」

水の人権論で衛生弱者が救えるか
 ――で,先生は水フォーラムの340もある分科会のどこを見ておればいいとお考えですか?
「僕はね,1月末に大津であった雨水利用のプレ・フォーラムに出席しましたが,本番はやめました.流石君のいうとおり,45,000円の登録料を有効に活かす方法がわかりませんね.3月号の最後にふれた日本の水資源の間接輸入(virtual水利用)量のデータも新聞などによく出ます.僕自身は同じことを74年にある経済誌で指摘し,滋賀県から大阪府に移出される間接水量を具体的に算出して,大阪の経済負担の圧倒的不足を証明するのに10年もかかりました.これも過去との訣別のひとつです.もし僕がまだ50才代ならば,目標はただひとつ,WHOが挙げている@11億人にきれいな水がない,A30億人に衛生設備がない,B水系病で8秒に1人子供が死ぬ,C途上国の病気の原因の80%は汚水,のために途上国へ出かけます.20年前のBの数字はもっと酷かったのですよ.でもAは全然改善されていない.これをWHOと世銀の課題としたのが80〜90年のIDWSSD(Int'l. Domestic Water Supply & Sanitation Decade)でした.この計画は結局達成できず,もう10年延長されたのに,92年のリオ・サミット以来,オゾン層や炭酸ガスなど地球環境問題のかげに隠れてしまったようです.僕には今度も前車の轍を踏むように思えてならないのです.」
これは環境工学が悠長に構えておれることではない.先生に答えはあるのかと問うてみた.「下水道をやめること、dry sanitationです.なんでも水に依存するのが間違いだ」と厳しい意見が返ってきた.中西準子が『日経新聞』の「今を読み解く−世界の水が足りない!」(03.2.16)で,高橋一生(ICU)の「水価格と人権」(『科学』03年2月号)を引用し、「水は基本的人権か,経済財か」という論争の経過と問題点をきれいに整理していてわかりやすい,とあるが,どう整理されたのかは書いてないし,dryの視点も抜けていて×だというのである.「僕は中西個人の仕事は評価していますよ.しかし僕の淡い記憶をたどれば,高橋は東大時代の中西の弟子だったはずで,ここに小さな狂いの元があったのかもね.」
「それからね,僕は,水は経済財でも非経済財でもない,しかし両者の性格も備えていて,今のITをうまく使えば,水用途の必要最低限の量を定額制(またはタダ)で供給することはわけないし,その代わり,full average cost pricing ではなく,marginal cost pricingを経済財部分に適用すべきだ,という論文も81年に書いたのです.でもね,総括原価主義を信奉する水道局は<タダ>にだけ敏感に反応して,僕が共産党員だという噂を流したようです,アッハッハ.普通の経済学者は水経済などをバカにして一切手をつけないが,60年にアメリカで出版されたJ. Hirshleifer他の"Water Supply"は,南部カリフォルニアの水浪費を例に,水価格と政策の全貌をとらえた非常にいい本でした.日本の出版社はこの本の翻訳をさせてくれなかったがね.」

合意形成技法の不在
 「国内・国際の学会で「市民参加」を謳う人が多いですが,どんな方法で?と質問すれば,異口同音に「研究成果を公表して意見を聞く」と抜け殻のような答が返ってくる.尋常な方法では環境問題は解けない,市民にはまず教育的role gameを経験させるべき,と結論したのが74年です.次にAHP(Analytical Hierarchical Process)などで一対比較を積み重ねれば,合意形成の科学化ができるのです.首都機能移転地の最終決定をこの方法でやる予定だったのに,慎太郎の恫喝でdead lockですわ.3月17日の安保理がBushの大音声で頓挫したのも同じ,国際協調すべきあらゆる局面の命運を象徴しています.学長ex−officioによる水フォーラム最終宣言の心配はもうやめましょう.」
 先生は理論武装なき社交辞令が絶対に嫌いなのだ.むしろ,若者グループの分科会が練っている世界水宣言を閣僚級会議で発表することのほうに期待していた.さらに,アメリカの<をせこども>が大統領選挙で半年間もカラ騒ぎするのも,金 定日やSaddam Husseinが好きなmass gameと変わるところはないではないか,何が中東の民主化だ!と,先生は意気まいた.
だけどだけど3月20日,御破算で願いましては,になってしまった.
                  (流石 さざれ/評論家)