弟子筋コラム  
隻眼先生の環境マンダラ(連載第6回)

        
おとこ
        研究者はつらいよ

 私は今度のテーマを「旋風の行方」にしようと考えていた.イラクの後始末はますます旋風化しそうだが,世界水フォーラムも,統一地方選挙も,やはり一陣の風だった.これらを横目で睨みながら,私は『ダイオキシン−神話の終焉』(渡辺 正+林 俊郎, 日本評論社, 03.1)の内容に唸っていた.私は一介の評論家だからまだよいが,過去とは訣別したという隻眼先生は研究者,特にこれから環境研究者の受難の時代が始まるな,と思えるのだ.
 こういう状態でボンヤリ見ていた「夜霧にむせぶ寅次郎(共演:中原理恵)」から連想したのが上の表題で,神話こそが夜霧なのである.女性の研究者も多くは男性型だ.先生は言った.「ウンうまい.流石君も隻眼流が身についてきたね.僕はその映画を見てないが,大学教授といっても口上ひとつで毒にも薬にもならない論文を叩き売る渡世稼業,それでも時々いっぱしの訓戒を垂れるところなどは寅さんと同じですよ.『ダイオキシン』は僕も読んでいるから,旋風を媒介項にして皆片をつけましょうか.」

旋風を凌駕するための条件
 私は先生から,日本の雨水利用の先駆者は村瀬 誠(東京墨田保健所)だと聞いていた.3月16日の深夜のTV朝日「いのちの水:バングラデシュの雨水」は,まさに村瀬の活動報告だった.現地人が砒素で汚染している井戸水を飲んでいるので,村瀬らは井戸の代わりに雨水設備の普及を図っていた.3月21日に京都で「雨水」の催しがあり出向いてみた.村瀬の基調講演にはバングラの話はなく,国技館の大屋根の雨水利用を相撲協会(春日野理事長)に納得させたときの苦労話が中心だった.パネル討論では,雨水で水道使用量が減ったときの下水道料金の徴収問題が提起されたが,議論には時間不足,でも,縦ドユの途中に切込みを入れて雨水を取出すスプーン様の道具を燕市の食器メーカが開発したという報告や,汚れている初期降雨をろ過器に簡単に切替える仕掛けなど,low-techの仕事もまだまだあるなという感を強くした.ここで先生の意見を聞いてみた.
 「東京の雨水計画は80年代早々に旋風時代を終わっていて,村瀬も一員だった<ソーラーシステム研究グループ>のreportに出ています.雨の源はsolar energyで,これがdry sanitationの発想にも繋がるのです.村瀬はその後より分散化した防火用地下貯水槽(路地尊)を区内に普及させ,その上で外国に目を向けたのです.いきなり外国で恰好つけたりすると,企画倒れで旋風は凪いでしまうでしょう.でも基調講演とパネル討議という形式はもう古いねー.先回言ったrole gameを参加者も巻込んでproduceするぐらいの才覚が要りますよ.4月15日の『日経』がフォーラム本番の[基調+パネル]2本を特集しましたが,内容はありふれていて僕は読む気もしなかった.」  
私は『日経』を読んでいないが,『毎日』は4月8日の「新聞時評」で平田トシ子(九州女短大)の「工夫凝らした水報道を持続的に」を掲載した.われわれと同様に,フォーラムが旋風で終わるかどうか監視していた人がいたのだ.どうすれば持続するかが問題なのだが,持続できねば旋風どまりなのだ.平田は,3月18日同紙朝刊一面で,「超党派議員が<水基本法>の制定を目指す」という小さな記事もみつけていたが,先生も私も,<基本法>ばかり何本作っても効き目はない,という意見である.

石原慎太郎は何を企むか
今回の表題がこんなにうまく符合するとは思いもしなかったが,先生に倣って購読を始めた『選択』(4月号)には,小泉総理はイラク戦争のお陰で辛うじて命脈を保っているが,爆弾の煙に咽び,己が姿もかすんでいると表現してあった.再選の見込みはないということらしい.では誰なのか.
都知事選前に慎太郎は,野中広務・亀井静香と懇談し,知事在任中でも新党旗揚げはできるぞ,という話に膝をのりだしたという.300万票も投じた都民のバカ! 外形標準課税のやりなおし,カジノ開場くらいならまだいい.モナコ公国並みにすればよい.でも更年期のババーや北朝鮮と戦端を開いてもいいとは何だ.彼は超新保守主義者だった.樋口恵子はもちろん,田嶋陽子でも歯はたたなかっただろう.
 先生が口を開いた.「僕がBushを見誤ったのは,Colin PowellやCondoleezza Rice以上の超好戦派が取り巻いていることを知らなかったからです.Donald RumsfeldやDick Cheneyです.彼らは97年設立のPNAC(The Project for the New American Century)というthink tankのメンバーで,$ならぬ武力でNeo−Pax Americanaを志向しているのですよ.日本のTVにもよく似たヤツが出てきますね.S・T(帝京大),S・T, M・S(拓大)などはどうですか? それにしても地方議会の当選者の万歳三唱を見ていると情けなかったなー.」―えっ? それはどういうことですか? 「大阪のひとりだけの例だけど, 万歳の後で, ○○する政治をやなー・・・・と喋ったのです. 言葉尻を捕えるのではないですが, 選挙民をバカにしていると思いませんか. 政治をですね, 皆さんと協力して・・・・, とは毛頭考えていないのです.」

危険情報paranoia syndrome−その裏表
 先生は,私が『ダイオキシン』をどこで見つけたかと聞くので,正直に『毎日』の書評(ウソとその上塗りだった危険情報/03.3.23)だと答えた.先生も同じだという.後書きには中西準子への謝辞もあり,Internetで中西を検索すると,彼女のHPに辿りつき,中西は本を読んだ後でこの書評を読んでいて,彼女自身初耳のことがたくさんあったと告白している.著者らが母乳の汚染を含めたparanoiaたちを実名で糾弾するひとつの根拠は,危険を煽りたてた研究者は具合が悪くなるとダンマリを決め込むのだそうだ.化学リスク論の宮本純之(じゅんし)が指弾するのは,黙秘はせずに,逆にあることないこと答えまくる曲学阿世だという.程度の差は少々あるが,N・A, M・H, I・T, W・T, T・R, H・Mらがその張本人,実名を知りたければぜひ一読してほしい.    
「流石君は評者の藤森照信を知っていますか.建築史家です.この書評に最適任だったかどうかはともかく,もっと多分野の人びとに批評してもらって,広義の環境科学の目標を見極めるべきでしょうね.ムツゴロウを主役にして諫早干拓の狂言を書いた梅原 猛などは候補のひとりですね.」
――この本にはもうひとつ山場がありますね.「そー,ごみ焼却技術のことでしょう.さながら推理小説のようでした.99年2月1日にA・Tが久米 宏のニュース番組で所沢の野菜のダイオキシン汚染を報告し,風評被害でA・Tが告訴されたりしましたが,その前後の極めて短期間に,超ハイテク焼却ガイドラインの策定,共産党以外の与野党によるダイオキシン対策特措法の制定などあがり,焼却炉メーカが常に影にいたこと,減量をせず大量かつ均質なごみの連続焼却でダイオキシン発生を制御するために地方自治体の合併促進が起こったのでは,と疑っています.それから去年だったかな,日立造船が多角経営をやめて焼却炉だけでいくという記事を新聞で見て,僕はすぐこれには大きな裏があると確信しましたよ.総勢7人というA・Tの小さな研究所が1検体100万円もするダイオキシン分析を自主的にやれるはずはないですし,脱焼却を謳っていたコンサルのP社は倒産しましたよ.」
 −ダイオキシン騒ぎに追討ちをかけたのが環境ホルモンでしたね.『奪われし未来』(翔永社, 97.9)」の主著者のTheo Colbornは日本中で講演をしてまわっていました.
「ええ,ところがね,中西準子の「環境ホルモン空騒ぎ」(『新潮45』,98.12)は一部専門家の空前の忙しさを揶揄して,マスコミや市民団体のばらまく"思考力麻痺ホルモン"のほうが怖い,と言い切りました.またMichel Fumentoは『Forbes日本版』(99.5)でendocrine disrupters=truth disruptersだと決めつけ,Colbornらの研究や出版の支援団体の性格まで調べて,眉に唾をつけています.だからでしょうね,00年に旭硝子財団がBlue Planet賞をColbornに与えたために,将来親会社の旭硝子に傷がつかないか,と危ぶむ声もあったようです.」  
「今もダイオキシンのリスクを研究している中西は,ごみ焼却ではなく過去の農薬散布の蓄積からの流出を対象にしています.渡辺・林も同じですが,この本には明白な間違いもあります.最近のリスク学では平均余命短縮の計算が常道になっていますが,ダイオキシンと自動車事故を比べてどっちが危険かという立論はよくない.人間の寿命はせいぜい100才で,総合的な死亡確率は最低でも100年に1回,リスクの原因は相互に独立だから,それらの確率の和が1/100以上になるわけで,自然でも都市圏でも死因は無数にある,だから理屈では「君子危うきに近寄らず」がよいのです.それと,なぜベト・ドクちゃんのことが1行もないのかも腑に落ちないですね.他にもRachel Carsonのことや瞬間風速にならない研究の仕方など議論は尽きません.少し視点を変えて次回も続けましょう.」 
                 (流石 さざれ/評論家)