Online講義 環境意味論

 意味論とは、機能論と対をなす用語である。意味論の上位には記号論があり、さらにその上位にいくつかの哲学論がある。しかし末石は、哲学をまず学習して、その知識で環境の一部を囓る「環境窃盗学」(拙著『環境学ノート』世界書院、参照)には反対だ。いまの環境学はほとんど機能論であり、また環境倫理学も窃盗学になっている。故に、菅又君のいうような「漏れる光の量を減らす」ことはOKである。ただし、以下に少々例示するように、光の意味論自身が「環境窃盗学」にならぬよう配慮されたい。
第1章 集合環境としての都市(生活とは物質・エネルギー・情報を介した環境との内的交流である)
1−1 生活とは何か  1−2 住むということ  1−3 都市論の類型
第2章 都市機能の整備と便益論
 近代都市(商・工都市)はいかなる機能を持たねばならぬのか、の議論が集中的に行われたのが明治時代であった。「環境学原論」で説明したように、典型が都市のシンボル(ただし大学ではない)としてのビル街か、交通か、水道か、下水道か、だった。公園は、旧藩邸の大きな庭が残っていたので問題はなかった。一般市民はごく貧しかったから、ゴミは少なかった。ただし、道路や水路にゴミを投棄する人間本来の性向のため車馬など往来を妨害するので、「ゴミを捨てるな」というお触れは明治2年に発布されている。明治以前の大阪では、ゴミをそこらへ捨てると投獄するという規定さえあった。以下、インフラ・ストラクチャーと呼ばれるこれら機能施設の整備・効用が社会的にどう評価されてきたかを概観する。ただし、ここでは相互に関係があるはずの各infra-structureを独立にとりあげる。(注:阪神大震災後、インフラ・ストラクチャーは、突然ライフライン(生命線=戦争用語)と呼び名が変わった感がある)機能論の行き過ぎに意味論を発見することができる。
2.1 水道/2.2 下水道
2.3 公園(参考:末石『都市にいつまで住めるか』読売新聞社)
2.3.1 都市広場(上記文献p.147:ベニスのカンポ/campo)
2.3.2 鎮守の森(南方熊楠他)
2.3.3 工場緑化
2.3.4 公園空地制度
2.3.5 ホコテン(市民のactionresearchの好例)
2.4 道路・交通
2.5 廃棄物処理
第3章 環境の意味論
 以上で、都市行政的には異種の(ただし同レベルの)生活環境要素を総合的に扱うことが可能になった、という前提で、『都市にいつまで住めるか』を参考にしつつ、意味論的連関を拡大して、生活環境論を展開する。
3−1 光(参考書には記載なし)
 機能論的には光はルックスで測定し、資源的には光源のエネルギー量が関係する。日本は世界一夜の明るい国ともいわれ、さらに最近の都市ではシンボル構造物をlight up(照明デザイナー・石井幹子)することの流行から、ますますこの傾向を加速している。しかしいまだにライトアップの電力が節電の対象として大きくとりあげられない理由は、環境の機能論としての光よりも、意味論としてのそれがある意味で幅をきかせてきたからではないか。機能論と意味論の中間的な考察としては、江戸期までの日本が菜種油を最高の光資源として行灯を用いたことを考慮すべきである。60wattの電球1コの明るさを確保するには、行灯を約50コ並べねばならないという実験もあって、しかも庶民は菜種油は高価で買えず、主として再生した蝋燭を用いた。
  意味論として最右翼にくる光は「国の光」で、これを観ることを観光という。中国語で「与光吾」は「見せて下さい」であり、環境保全的な国民の活動が光の一部を構成しているとすれば、環境よりも観光のほうが概念として広くなることを理解しておくべきである。イギリスさらにアメリカはすでに十分観光立国の状況が顕著になっており、国事としての観光が21世紀の課題であることにいまだ開眼しない日本と国際観光収支が十分黒字になっているアメリカとの貿易摩擦が、依然として自動車・家電・建設などの数量だけで論じられていることを忘れてはならない。環境計画学科の選択科目に「国際観光学」を用意する予定であったが、まだできていないので、ここでさわりを述べる(観光記録学・観光芸術論・観光接遇学・移動人類学・高度情報学)。
3−2 水・土・緑
3-2-1 川と下水道(日本で「川」を冠した小説の多さ)
3-2-2 海岸と海(渚は意味の宝庫)
3-2-3 緑と景観−生活の快適性(景観と風景の違い)
3−3 自動車の諸問題−走る煙突つき工場(移植医は君の事故死(or脳死)を待ってるぞ」
3−4 騒音とサウンド・スケープ(音風景)
行政指導によるものとはいえ、日本の自動車利用面で成功した唯一の例がある。それは猛烈なクラクション騒音を自制するようになったことである(昭和30年代末)。これが都市の自動車化の初期に行われたことの意義が大きい。しかしこれは、日本人が本来もっていた繊細な音感覚のゆえではなかったといえる。自動車の警笛は東南アジアなどではなお非常に喧しい。日本では警笛は減ったが、一般騒音が非常に喧噪状態にある(それと野球ファンの大騒音)。まず主として自動車の走行音によって、騒音の環境基準が達成されているところは全国の監視点のうちわずか15%である(参考書p.107〜109)。騒音の計測・評価は、人間の聴覚にもとづく”うるささ”と音響エネルギーの複雑な関係(参考書p.106)を基準にしている。もちろん足し算ができない。交通量が10倍になってホン値が10高くなるというような関係になるから、騒音を機械的にだけ測定してもあまり意味がない(一番悪い例が、交差点の騒音計がチカチカしているやつである)。最近新たに提起されはじめたのが、街頭(たとえば道頓堀筋では交通騒音にまじって、各店がてんでに広告をがなりたてる)・駅頭(外国では笛も鳴らさず汽車は出る)などでの過剰案内、CFのときに音量をあげるテレビ、カラオケ騒音、ウォークマン騒音、さらにまた街の景観に不似合いな音楽までもが、外国経験者から批判されはじめている(中島義道「騒音文化批判」『中央公論』'91年6月号)。ピアノ騒音にも見方はふたつある。「うるささ」とは明らかに感覚なので、音の発生源にいる相手に善意をもっていることだけで大きくはならない。しかし、うるささに無感覚になると、難聴になることも実証されている。いまのところ騒音を客観的に表現する方法は、WECPNL(weighted equivalent continuous noise level)とよばれるものしかない。これは、航空機騒音(ボーイング707は60km/hの乗用車の百万倍のパワー)の評価のためにつくられたものである。音風景とは、地理的風景をあらわすランドスケープ(landscape)をもじった言葉で、マレー・シェーファーの『世界の調律−サウンドスケープとはなにか』(Murray Schafer:Tuning of the World/鳥越けい子 他訳、平凡社、1986)が出版されて以来、従来の騒音制御研究者の一部が、「環境音響学」的研究へと転向しはじめた。戦争にさえ、もちろん各都市にも、独特の音風景があるとシェーファーはいう(「従軍看護婦の歌」に歌いこまれている例。)
 ここでは、詳細を述べないが、音環境の調律をすることとは、ランドスケープとサウンド・スケープの関係を、最小限俳句などによる文学的な表現ができるようにしたうえで、さらにこれらの総合効果が「科学的な意味関係をもつ風景」としても成立していることを指すであろう。総合的な「人文学」の大きな課題であることは間違いない。(芭蕉の句=静けさや 岩にしみ入る 蝉の音)
第4章 生産・消費・廃棄
 この章では、第3章の問題(環境要素の意味的因果関係の総合化)よりさらに困難で、かつ自動車社会の未成熟にも強く関係している、資源消費問題・省エネルギー問題の根底をなす「消費」を扱う。講義進行の都合上、モノまたはエネルギーとしての廃棄物のリサイクルを扱うことを省略し、以下の各節で意味論的な廃棄を考える。
4−1 消費の意味論
1)上流階級の模倣とする論:阿部謹也(『中世の窓から』朝日新聞社、1981)
2)『儀礼としての消費』:Mary Douglas (& Baron Isherwood)の書(新曜社、1984)
3)消費の記号論
4−2 サービス経済(経済のサービス化)
4−3 怠惰の論理
 20世紀の学問・科学・技術は、すべて「勤勉」を旗印にもっていた。人間を含め動物一般がもっている安楽志向・怠惰願望は永らく学問の対象にはされなかった。世界ではじめて「怠ける権利」(田淵晋也訳、人文書院、1972)を書いた(1890年頃、労働の権利に対する痛烈な反駁と風刺で、賃金の奴隷になっている人間を叱っている)のはPaul Lafargue で、妻の父であった K. Marxの激怒をかった。しかし、Attaliの考え方をいちはやく搾取の概念に拡張していたMarxの発想も、勤勉と怠惰の論理の調和を欠いていたといえるもしれない。
4−4 情報化社会の意義
 「環境情報学」「総合情報学」がすでに学部の名称になっているように、この膨大な分野の理解の多少が、先進国のかつその個人の生き方の成否を決める。ここではキーワードだけを挙げ、簡単な解説をする。
pipeline産業とcontents産業/remote access/大学の存在様式/45才定年説と社会のdown sizing/行政のdown sizing/情報公開とprivacy/機能社会から意味社会へ/複雑性の科学の意味/人文学が軽視される国は滅亡する/
第5章 都市リスク論/5−1 健康リスク/5−2 自然災害/5−3 都市リスクの受容−保全と保険
 「安全」のためといえば研究費が出ても、「危険」といえば出にくいのが日本の現在社会の特徴である。最近の傾向として、「保全」という用語が安易に多用されてきたが、これは「まったきを保つ」で、これと対立する「保険」は、「険しきにたつ」、つまりリスク受容(risk acceptance)を前提にしての行動である。日本流の保険は「中宿(チューシュク)」に代表されるように、相互扶助体制として村社会に内包されていた。ヨーロッパで保険制度が発達したのは、情報公開と非常に密接な関係がある。世界最大の保険集団ロイズは、17世紀Edward Lloydのコーヒー店が海運業者・海上保険引受け人の溜り場であり、通信手段も未発達でかつ航海も危険であったので、Lloyd は海運ニュース、船舶売買、積荷取引周旋などの情報を店に掲示したことに始まる。1691年、このシステムが金融の中心地シティに移転し、これが18世紀半ばにロイズ海上保険の中心市場となり、保険引受け人の集団として発展し、1891年、Lloyd's Actによって、Corporation of Lloyd'sなる法人となり、1984年には、23,500人の富裕層の会員がシンジケート化して、underwriter(引受け専門家)を傭っている。日本の保険制度は、1874年に渋沢栄一・岩崎弥太郎がロイズを追随した「東京海上火災」を嚆矢(こうし)とする。
 都市リスクには、ジェット機の墜落から火災・交通事故、さらに日常の小事故までが含まれ、都市高密化・高齢化が大きく作用し始めている。しかし、保全概念のもとでは、リスクとベネフィットをバランスさせる思考が成熟せず、これは結局、死生観と宗教の関係にいきつくであろう。(思考演習を予定:環境ホルモン)
5−4 リスク・コミュニケーション/5−5 リスク確率の事例とその解釈
第6章 公・共・私の概念
6−1 概説
 デカルト以来個人主義哲学が確立し、かつ絶対神のもとで自然支配を位置づけられたヨーロッパでの人間観のもとでは、私(し)個人と公共(public)は対立しつつも、相互の得失を合理的に調和させる価値体系が育成された。しかし多神教の日本では、贈与経済学的にみても、太陽をはじめ自然物の恩恵が第一義的に重視され、「公」と「私」を媒介する「共」の思想が村社会では成立していた。これが近代化とともに崩壊したのが最近100年の歴史であった。7〜8章で紹介するケース・スタディは、これを新しい角度からつくり直そうとする試みであるといえる。と同時に、生活環境づくりに関連して住民参加を論じるにも、公・共・私の新しい概念を確立しておかなければ、空虚な「べき」論に終始することが予見できる。以下本章では、生活環境としてみた都市の将来課題を例示する。
6−2 イエとミチ/6−3 エキ/6−4 企業市民と市民企業
第7章 市民主体のケース・スタディ
 ここで示す3例は、やや長期間のフィールドワークをへてまとめた「レポート」の形をとっている。ある地域が「別の地域に学ぶ」という意味で、日本での「地域学」の嚆矢(こうし)として位置づけできるものでもある。
7−1 長崎市中島川の場合−斜面都市研究
7−2 市川市真間(まま)川の場合−水防都市構想
7−3 三世代遊び場図鑑(東京三軒茶屋・東京工大)
第8章 自治体主導のケース・スタディー(以下 略)