末石月報 「女性国際戦犯法廷」ハーグ判決の意義  

1.まえがき

 「忘れ難き日々」では、少々自分の過去にこだわりすぎたかもしれない。70年も生きてきて、<人生を半分降りる>べき身になると、過去に縋るのはやむをえないとも思うが、これを残りわずかな自分の将来に反映するのではなく、歴史観的考察を次世代に遺贈するのだ、という視点こそがより重要だと考えた。
 そういうタイミングに、標記の報告会が京都のキャンパプラザで開かれたので、重い足をひきずってでかけた。以下は、非常に早口の報告のメモからの要約なので、正鵠を欠くところもあるが、いま日本に課されている構造改革にも同種の取り組みが要るのだ、ということが結論である。

2.法廷の構成と経緯

 第二次大戦中に日本軍が運用していた性奴隷制度は、強制連行された第三国の被害女性のsurviverが名乗り出て、日本の民事法廷への提訴が相次いだことを契機として、一挙に社会問題化した。しかし、日本の法廷では事実認定もされないし、国民全体としてもあまり関心を払わない。日本史の違法性を直視することを基点として、1997年からこの法廷の検討が始まった。
 性奴隷が公娼の延長だと矮小化するのではなく、法廷を加害国日本の女性が中心になって構成する、国際法を国家の権限から市民法制(global civil court)化する、男性中心の法制をgender型にする、などの目的を掲げている。別の表現をすれば、現在の国際法には被害女性の扱いが入っていない(東京裁判でも性暴力は裁かれなかった)のである。つまり現存する法制度によって裁判をしようとするのではなく、制度づくりと判決とを、試行錯誤的に同時進行させようとしたのである。現在は、法律がなければ犯罪も成立しないというのが通説である。
 いまだに「天皇中心の神の国」とほざく首相がいるような敗戦国日本を対象に、天皇制を維持しながら民主国家を造るという、アメリカの大実験の一環として実行された東京裁判とも軌を一にするところもあったわけで、東京裁判やニュールンベルグ裁判などの枠組みも研究対象にしたという。

3.現在の到達点

 いったん東京法廷も開かれ、2001年12月のハーグで最終判決が出た。法廷の構成には、検事、判事とも法律家だけでなく、関係する被害当事者も参加している。その要点をまとめておく。
1)時効はない。
2)個人の国家に対する賠償請求を認めた。
3)日本民族全体としてはnot guiltyである。
4)主要な処罰者は全員が故人だが、いずれも終身刑となった。それらは、天皇裕仁をはじめ、畑 俊六、板垣征四郎、寺内寿一、東條英樹、山下奉文、松井磐根ら陸軍の将軍で、指導責任・命令責任が問われた。特に天皇は事実を知るべきだった、知っていたのに放任したことが厳しく問われた。
 これらに基づいてハーグ法廷は国際的に次のような勧告を出した。
1)旧連合国は事実を知りながら、なぜ東京裁判では上記被告を訴追しなかったか。
2)アジアの植民地の旧宗主国も無罪とはいえない。
3)日本政府に対して改めて賠償要求をすべきこと。
4)Bush戦争が拡大する前に、国際司法裁判所へ提訴すること。
 なおこれらの成果は、在ハーグの日本大使館(東郷大使=いま川口外相による処罰対象になっている)に提出したが、極めて無礼な扱いをされたという。中国では2000の新聞社が記事にしたのに、日本の大部分のメディアは黙殺、NHKだけが「ETV特集」(問われる戦時性暴力/01.01.30)を組んだが、猛烈な右翼の圧力に屈して内容を改竄した。これに対しても裁判を起こしたが、NHKは編集権を盾に、非を認めようとしない。

4.付――報告者への感想文の送付

02.03.19(vaww-net-japan@jca.apc.org) VAWW-NET-Japan代表 松井やより様
前略 一昨日、京都での「女性国際戦犯法廷/ハーグ判決」の報告会に出席した。私は大学教員時代から専門の環境学の立場でgender論にはおおいに関心をもち、日本女性労働史、Betty Freedanや上野千鶴子の業績、WHOのreproductive health問題も視野に入れていたが、今回の性暴力法廷ハーグ判決のことは、『週刊金曜日』1月16日号で読むまでは、迂闊にもまったく知らなかった。この種のことは、民族としてはnot guiltyかもしれないが、現在の国民としてはguiltyだと思う。
 以下は、自分自身の歴史観を修正する意味も含め、参考になるかもしれない事項を整理してみた。
a)1945年の日本の敗戦直後、日本の若い女性は米国の駐留軍に強姦しまくられるのでは、という風説で、如何にして彼女らを守るかが、短期間だったが話題になった(この防波堤となるべき女性を日本政府が公募した。施設開所の日、多くの米兵が殺到し、数十人の客を取らされた女性もいた。うち1人はその日に自殺した)。これは日本軍が同じことをやったことの裏返しだっただろう。
  私も、中国本土の前線に近く慰安所が設けられていたことを、公娼制度の延長かと思っていた。事実を知るよしもないが、森繁久弥・故三木のり平主演の喜劇映画が、こともなげに作られた。森繁隊長には専属女性がいたが、一兵卒は地団駄を踏みながら行列して待っていた。映画での慰安婦は日本人だったが、兵卒用の彼女らは毎日非常にたくさんの客をとらされていた。
 強制連行された慰安婦たちからの賠償要求だけでなく、日本軍が旧占領地で発行した軍票や広島・長崎の被爆者に対する損害賠償なども、戦後に日本から離脱した国の人びとの要求は一切無視されてきた。これは常に、2国間の講話条約で決着ずみとされてきたのだが、ドイツのホロコーストの被害者はもちろん、米国やカナダでの日本人の不法拘禁にも、平均200万円の補償が2,3世にも支払われたことを当事者から聴取したので、日本政府の姑息な言い分には非常に腹がたった。
b)日本の司法の体制ベッタリは松井報告にもあった通りだが、これは環境裁判にも通底している。村山富市内閣の時、この種の賠償要求圧力をかわすため、「女性のためのアジア平和国民基金」が創られた。これは周辺諸国の当事者の受けが悪く、この基金からの賠償は受けとらないという宣言が相次いだのは周知である。しかし私は、情報を手に入れるためにも、先ず1万円、しばらくしてもう1万円を寄付したが、当初は新聞でも殆ど報道されず、郵便局の窓口も「そんなん知らん」といった。結局わかったのは、目標額はわずか20億円、しかも3年くらいたっても5億円も集まらなかったことだ。きちんと賠償するには総額20兆円は要る、と言われていたのにである。
  この事実は何を物語るか。基金そのものの欺瞞性を越えて、日本国民の性奴隷問題への関心の欠如を、先進国・途上国双方へ暴露している。このような仕組みが大改革されないと、日本人が国際法を市民立法できるような時代は到来すまい。
c)男性を中心とする御用専門家がアメリカに追随した政策に原発推進がある(朝日新聞科学部には、推進派の大熊由紀子もいたが)。もう20年近くも前、Finlandの女性4000人が「1990年までに政府が原発全廃を決定しないと、われわれは子供を産まない」と宣言した。この結末を私は追跡していないが、米国やドイツ、北欧では、民衆の力もあって、廃炉への足どりが次第に確かになってきた。

国際女性法廷制度の確立は、上記3項目を引用すると、文化、経済、技術など、日本が依って立つkeywordsとも広範に絡むことを示している。問題を複雑化することが趣意ではなく、とてつもなく大きな問題だということが再認識できた。今後の御奮闘を期待してやまない。

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