末石月報 男の眼・女の目―目は口ほどにモノを言い  

僕はこの10年来、dry eyesにかかって涙が出にくいらしく、眼が痛くて弱っている。原因は明らかに、講義のとき以外はほとんどCRTを睨み続けていたことだ。読書は毎夜寝床の中という悪条件も重なっていよう。TVもCRTの画面も目線を下向きにする方がいい、といわれているから、諸兄姉はご注意されよ。

涙といえば、最近は、宗男の演技涙と真紀子の悔し涙が目立った。前者は僕にもできたし、後者を女の武器だと揶揄した小泉はセクハラすれすれだったね。僕じしんの実体験から、今日は、涙のことなどを話してみたい。ただし、より最近のWorld Soccerのシ−ンには触れない。

書き出したらキリがないくらい「涙」の経験はある。特に京大から阪大に転勤のとき、当時の京大の工学部長が阪大の割愛願を拒否し、それを聞かされた僕は、帰宅後妻の前で号泣してしまったのは不覚だった(この後日談はいずれまた)。なんたって約3年間、前学部長の密命で、研究室はすべて助教授に任せて学部改革論議に熱中して提案書を書いたのに、改革の曙光も見えないことが明らかになっていたので、もう京大には居たくなかったのだ。

阪大と京大の学生の違いでビックリしたのは、京大生は大体モード履きを突っ掛けていたのに、阪大生は革靴を履いていたことだ(阪急で通学するためか)。それと転勤前に2年間非常勤をやったとき、朝一番の講義を引き受けて、定刻の8時10分に教室へ行ったのに学生は1人も居ず、8時45分にやっとひとり来た。なんだいこのざまは! 数年後、僕の隣室の橋本奨教授(故人)が「学生の眼は死んだ魚の眼のようだ」と、しきりに宣いだした。彼はさらに、「脳みそが豆腐のようになっている」とも付け加えた。これは主として男子学生のことだった。今こういう話を女性にすると、「ええそうです、彼らは完全に無感動ですからね」という答えが返ってくる。

しかしである。最近NHKTVの人気番組project Xに登場する、比較的高齢男性の眼が輝くのに気がついた。番組でいう挑戦者たちだ。僕が特に印象深かったのは、沖縄の野菜を食い尽くした最強の害虫ウリミバエを撲滅するのに20年もかけて、メスを少しずつ不妊化していったグループの苦労や、カンボジアの崩壊寸前のアンコールワット遺跡を修復するのに、現地人を腕利きの弟子として養成するところから手をつけた日本の石工の執念などである。進行役の国井雅比古の質問に応える大の男が、感極まって目をうるませるのだ。登場する成功者たちは皆高齢で、涙もろくなっているのかもしれないが。田口トモロヲの独特の語り口、さらにややドスのきいた声で中島みゆきが歌う「地上の星」も、視聴者にはたいへん効果的だ。「地上の星」は、中高年男性が「中島みゆきのアレ下さい」といって、どんどん買って行くそうだ。僕もそのひとりになった。それまで僕は「中島みゆき」という名前を知ってはいたが、CDのカバー写真で顔を初めて見たというわけ。

中島みゆきといえば、こんな経験があった。81427日、僕は東京日比谷公園の松本楼の2階の会議室で、水行政の総合化と地域分権化の討議に参加していた。この成果物は同年7月に、当時の鈴木善幸首相と中曽根康弘行管庁長官に提出したのだが、ケンもほろろの扱いを受けた。それはともかく、松本楼の隣室で、中島みゆきのファンクラブの催しが開かれていたのだ。ただし音楽の音色などは一切なかったから、彼女のトークショウだったのだろう。

昼過ぎに会議が終わり、僕は別の委員の出てくるのを2階からの階段で待っていた。そこへファンクラブも撥ねて、大勢の若い女性が出てきた。そのうちの1人が僕に向かってペコリと頭を下げ、「今日はほんとうにありがとうございました」と礼を言ったのだ。彼女は頬を上気させ目が輝いていた。僕は当日、真っ白の上下に濃茶のネクタイ、茶のハイヒールブーツと同色の小さな革カバン、といういでたちだったから、彼女は僕を中島の所属事務所の者と勘違いしたらしい。僕は「いいえどうしまして、またどうぞ」と即答したのだが、きっと中島の目もショウの間には同じように輝いていたに違いない。

女性の目の輝きをつぶさに観察できた次の機会は、921031日、千里リサイクルプラザ・マルチホールでの、資源リサイクルセンター竣工記念講演会であった。誰が彼女に目をつけたのかしらないが、講演料に70万円も払って吹田市は今給黎教子(いまきーれ・きょうこ)を呼んできた。彼女は、鹿児島大学を出て鹿児島市役所勤務、自分にかけた何億円かの保険をカタに借金をしてヨットを建造、これで「無寄港の世界一周」に出たのである。

市民研究所を創っていわば大冒険に旅立つリサイクルプラザにとっても「無寄港ひとり旅」の中味は絶品であった。ここでは詳細を書く余裕はないが、朝目覚めたら氷山に衝突する危機一髪であったことや、台風に遭遇して、マストが海に突っ込み船底が上向きになるような生死の境で素っ裸になっての格闘を話す段階で、今給黎の目がらんらんと輝き出したのだ。

 最近しばらくは彼女の名前を聞かないが、また類似の挑戦をすると彼女は宣告したから、もう次の準備ができた頃ではあるまいか。彼女の講演のマネージメントをした毎日新聞事業部の話では、講演の安売りはしない、ということだった。大学の先生がたも見習うべきで、黒板に向かい哲学者然としてボソボソと喋る「黒板○○学」はもう過去の遺物である。吉本興業は、大学教員や弁護士のマネージメントを準備中だという(02.06.11毎日新聞夕刊)。

 この経験をしてから僕は、講義にいっそうの努力をすることにした。声のはりあげ方、抑揚のつけ方、しぐさの工夫、など。自分の目が輝いているかどうかはわからないから、いくつかの講義のビデオ映像も取ってもらってあるのだが、残念ながらこれらを分析しないで終わってしまった。また、学生たち―特に女子学生―の目が光っているかどうかにも注意したが、大教室でこれを探し出すのは不可能だった。でも4〜5人単位の小ゼミでは、学生に課題の発表をさせた後の質疑・討議時間に、できるだけ薀蓄を傾けた話をしてやると、目が輝いてくる女子が必ず何人かいた。そういう学生はゼミの後で必ず礼を述べて退室するのも気持ちよかった。そのうちの1人がMさんで、彼女の名前は瞳美さんだったなぁ。

 男性の涙でどうしても忘れられないのは、86年9月1日掛川市の榛村(しんむら)純一市長だった。この数年前から僕は「生涯学習都市宣言」第1号の掛川市に調査に入っていて、この日は逆に市長から依頼があって、コンサルの下水道計画のレポートを見てほしい、ということで市長室横の会議室で待機していた。当時すでに新幹線こだま号の掛川停車の計画は決まっていて、予算約80億円の1/3(もう1/3はJR、1/3は静岡県が負担)を掛川を含めた周辺自治体で支出するため、市長は市民に「こだま貯金」を呼びかけていたのだ。市役所内での割り当ては、市長100万円、総務部長50万円などで、市民は自由応分にということだった。最初は反対が強かったが、市長が本気だということがだんだん浸透して、8割くらいの市民が貯金(事が成就すれば貯金は寄付金になる)をしたらしい。

 壁もドアもない市長室から、「末石先生ちょっと来てくれ」と声がかかって、何事かと行ってみると、市長は50円玉だけを荷造り紐に通したものを大きなガラスビンから出し廊下に一直線に引っ張って、ある主婦の寄付なんだ、といって涙をポロポロ流していたのだ。長さが15mほどで、僕の目分量ではまぁ10万円くらいだったか。市長が嬉し泣きしていたのは金額の多寡ではではなく、毎日の買い物で必ず50円玉のお釣りが出るようにしてくれた主婦の心根に対してであった。僕の目頭も熱くなったのはいうまでもない。

 もらい泣きをしてしまった最も鮮烈な記憶は、阪大環境3期生の野村克巳(現京都市下水道局/修士修了後僕の紹介で就職させた)が、871110日にAachen工大で学位の最終審査を受けたときのことである。ここには詳述しないが、彼は僕の教唆を忠実に守ってくれて、この日を迎えたのだが、ドイツ留学についての下水道局長らの事前了解を得るため、僕じしん何度も役所に足を運んだし、またあまり役に立たないことは分っていたが、主指導のBoehnke教授(僕も1977年には世話になった)が日本での修士論文の指導教授も博士論文の審査員に加えるということを恒例にしていたので、たった3日間だがAachenへ出張したのだ。

 審査終了後ただちに判定会議が開かれ、待機中の野村が再度会議室に招じ入れられた。もちろんドイツ語でBoehnke教授が、「あなたは今日からDr. Ingenieurをなのってよろしい」と判定結果を述べたとき、約10年間にも及ぶ野村の苦労が頭をかけ巡って、僕の目には予期しない涙があふれたのだ。その直後、研究室の後輩たちが準備していたお祝いの会にdowntownに繰り出した珍道中のことも含めて、一部始終は野村じしんに語ってもらったほうがよかろう。

 豊島住民の要請で多忙な中坊公平弁護士が腰を上げ、50万トンの産廃の不法投棄事件の解決を島民じしんに勝ち取らせたのは、環境メディエータが学び取るべき貴重な教訓である。僕が吹田の市民研究員の後見として、豊島のエピソードの取材に中坊弁護士を訪ねたとき(00615)、中坊さんは、あるときは怒りで眉を吊り上げ、しかし一方、島民が交代で一日も欠かさず早朝から香川県庁に出向いて立ちんぼうによる意志表示を貫き、それが遂に成功するところでは、大粒の涙を拭いもせず経緯を詳しく語ってくれたのだった。

「目は口ほどにモノをいう。」いかに豪腕・辣腕の士であっても、lip service的な「感動した」では、人びとは従いては行くまいぞ。

 

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