末石月報 寒中見舞

寒中お見舞いします。 環境塾の皆様お元気ですか。久しぶりの末石月報です。

今年は年賀状をほとんど出しませんでしたが、何とか生きていますからご安心下さい。実は年末にはかなり忙しかったのです。以下は2002年の主な記録です。

読書 有川靖夫『腐敗公社−官僚たちの聖域』、新藤宗幸『技術官僚−その権力と病 理』、山岡淳一郎『風と土のカルテ−色平哲郎の軌跡』、平松幸三『沖縄の反戦ばぁちゃん−松田カメ口述生活史』、木下威『定年十年前のあなたに』、西木正明『冬のアゼリア−大正十年・裕仁皇太子拉致暗殺計画』、アンソニー・ブランディジ『エドウィン・チャドウィック−福祉国家の開拓者』(愚作)、猪瀬直樹『日本人はなぜ戦争をしたか−昭和16年夏の敗戦』、小野暸「複雑学とは何か」『季報唯物論研究』80号、Alex Kerr『犬と鬼−知られざる日本の肖像』、内田樹『寝ながら学べる構造主義』ほか
劇場 劇団四季「オペラ座の怪人」、熊井 啓/清水美砂「海は見ていた」
料理 リゾットと丸鍋風うなぎ鍋だけをレシピに追加
聴講 北野 大ら「遺伝子操作作物」、京大などのvirtual university
画廊 ヒロ・ヤマガタ、福島三佳の初個展、潮 ?雄(タピストリー)
医事 初の胃カメラ、医者(内・整形・眼・カイロプラ他)の梯子はサボリ気味
大工 道具の補充以外進展なし
追悼 三谷健次(88,三高での担任)、Ivan Illich(76,影響を受けた社会学者)、小杉幸
 吉(72,大学の級友)、山川雄巳(70,関大法)、内井昭蔵(69,滋賀県大・建築家)、飯島
 伸子(??,都立大,環境社会学会)

窮鼠猫を噛むように狼に噛みつく羊現れよ、と説く人あり。僕も後少しで72才の羊。
カラ元気を出してMr. Shrubや自民党の堪え難き悪相どもにも噛みついたが、もう遅
すぎた。所詮は蟷螂の斧。しかしこの国にはもうあまり希望がない。上記のKerr(講
談社、2002)を読めばよく分る。

 さてこのKerrの本の読後感にもとづいて、塾生の方に一言。この本の書評をみつけ
たのは去年の『婦人の友』11月号で、副題とこの書評がなければ、購入はしなかった
だろう。昨年暮れにもう第4刷だった。あとがきに「鬼と犬」の解説が、「犬馬難、
鬼魅易」とあったが、これでもまだ何のことかよくわからない。鬼はハコモノで代表
されるモニュメント的巨大構造物(僕はここに巨大イベントも含める)のことで、こ
れを造るのは易しいが、犬はあ難しいという意味である。行政はわれわれの税金を好
き勝手に使って巨大モニュメントばかり作っているというのが筋で、その結果絶対後
戻りできない環境破壊をやっているという次第である。第1章が「土建国家日本」だ
から、これで大体の内容がわかるだろう。

 大学の悪口はほとんどなかったが、この本の内容と自分の一生を比較して、僕は愕
然としたのである。もし大学に残らずに(いったんは逃げ出したのだけれど)運輸省
の航空局長で退職していたら、おそらく大阪空港ビル社長に天下りして、俗にいう退
職金稼ぎをしていたかもしれない。一転して、毎年若い学生諸君に出会って充実し
た50年を送れたと感謝していたのだが、卒業後の進路などで、僕がした助言はあれで
よかったのか?と、忸怩たる思いがこみ上げてきたのだ。もう40才を越えた人には今
更何を、というところなのだが、 僕自身が大転進を思い描いていたのが43才のとき
のこと(拙著『環境学ノート』のあとがきにその一端を書いた)。

 『週刊大学』を出すことのmanagementを期待していた先輩E・Kが急逝して、すべて
がパーになった。ごく最近河合塾が少し似たことに手をつけている。もし当時、吉本
興業の常務木村政雄(今は退職して、executive freeterを名乗っている)に出会っ
ていたら、すべてうまくいっただろう。彼の近著『吉本興業から学んだ人間判断力』
(講談社)を読めば、別に大学院のMBAなどを出なくても、人間のmanagementが学べ
るし、吉本は大学教員のmanagementもやるぞ、と宣言した。吉本にはスポーツ部が
あって、ORIXからMBLへ行った長谷川滋利は吉本が代理人をやっているのだ(「徹子
の部屋」で確認)。そのうち同社は大学部を作るだろう。

 僕が滋賀県大へ行く時、貧乏な精華のために、自分を1〜10億円で売り込むシナリ
オを書いたのだが、代理人がいなかった。なぜ10倍も値段が開くのかといえば、対数
をとればたった2倍だし、対数をとるわけは、相手校が評価できる僕の人材ネットワー
クの大きさにもとづいている。それはともかく、まだ40才前後の人は、Kerrを熟読し
て、坂本龍一、小澤征爾、イチロー、大魔神のような人生を選び取る道もあるという
ことを、一度は視野にいれてみてほしい。これが僕の唯一の罪滅ぼしのつもりである。
72才にもなった僕にはもうすべて手遅れなので。
 

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