末石月報 弛緩社会に喝!

毎週々々、庶民の神経を逆なでするような事件や事変−犯罪から政治まで−がのべつ幕なしに起こっている。しかしわれわれは、だんだんこれらに慣れてきて、TVや新聞の報道をwide show的に見過ごしているのではないか。一見平和な世の中が50年も続くと、こうなってしまうのかな、というのが僕の偽らざる感想だ。これが弛緩した社会である。
「長崎の12才の中学生の親は、市中引き回しのうえ打ち首だ」とK・Y大臣がほざいたのに対して、彼の出身地の尼崎の支持者たちはなぜ叛旗を翻さないのか?逆に、この中学のPTA会長が「種元駿君は世の大人たちに教訓を遺したのかもしれない」と語ったのは、より意味深長である。この大人には刑法が適用されない12才少年の親も含まれるのだろうが、僕は駿世代の親も含まれるべきだと考える。
 4才といえば、親の言葉を十分聞き分けられる年齢だ。なぜ「買い物がすむまで(ゲームコーナーへ行くのを)待ちなさい」と言えなかったのか。すでに周辺では類似の事件が多く起こっていて、監視カメラの設置を含め複数の対策ができていたというのに、幼児をもつ親の無関心さを責める報道は全くなく、両親の恨みの涙ばかりが映像化される。幼児を車中に残して親がパチンコに興じている間に子供が誘拐か熱中死というような事件は、日常茶飯的に起こっているというのにである。
 要はわれわれが、毎日々々、毎週々々の些事に興味を奪われて、心ここにあらず、という状況になっているのである。国会議員ともあろう者が、「レイプは元気でよろしい」(O・S)、「子供を産まない女性が、将来社会福祉のサービスを受けるのはオカシい」(M・Y)など理不尽な発言をしても、マスコミははなはだ寛大だし、同席していた女性議員H・Sに「どう思うか」と質問しても「聞いていなかった」と逃げる音痴ぶりには呆れ果てる他はない。こういう奴らを自民党は次期総選挙でも公認するのだろうか。もしそうだとしたら、彼らはまさに国民の弛緩状態を見抜いていて、「お願いしま〜す」の絶叫と握手攻め、それと土建屋への投票締め付けで、またまた議事堂に雁首を並べるに違いない。
 この月報の主目的は、上記のような弛緩社会への僕の怒りをぶちまけることではない。こういう怒りを発することすら忘れて日々の些事のかまけている間に、もう少しlong spanの月単位で今年の上半期を回顧してみると、日本の国情が大きく右旋回していることに気づくだろう。60年前ならこういう趨勢に断乎立ち向かった、例えば齊藤隆夫のような烈士がいたのに、今はもうアメリカに尻尾をふるばかり。
 住基ネットの施行時には、また天下り役人を受け入れる三セクを作って税金の横流しをするのだろうし、有事法制の制定では、いざという時の国民保護の条項は、法的拘束力のない付帯決議にとどめられた。イラク支援特措法案の審議中には、大量破壊兵器の未発見にもとづくイラク戦争自体の不適合性を突く野党の質問に、「Saddam Husseinの未発見は彼がいなかったという証拠にはならない」という小泉総理の詭弁・強弁が議場を支配した。
 とはいえ、日本がアメリカの言いなりにほぼ従ったと確認したD. Rumsfeldは、イラクの大量破壊兵器が存在したという証拠が薄れたと、抽象的な言い回しながら本音を漏らしたではないか。今後何が出てくるのか?それを読み解く力は僕にはない。しかし、教育基本法改正、憲法調査会の動き、新しい歴史教科書をつくる会と北朝鮮拉致被害者家族会との通底現象や、北の万景峰号などの入港阻止に俄かに気勢を挙げる扇千景、ダム不要を判決した最高裁の決定にも拘わらず、着工を変えない国土交通省、等々、この国の政府はどこまで国民をバカにすれば気がすむのか。僕には、昔の国家総動員法のようなものもチラチラして見える。
 ちょうど同じタイミングで筑紫哲也が、『週刊金曜日』7月11号に、「ゆでがえるの現況」と題するコラムで「国論を二分するほどの議論があるべきなのに」と訝りながら、ビーカーの温度はもう格段に上がっていて、「戦後」という蛙はもうゆで上がってしまったのか?と提起した。「ゆで蛙」のモデルを中国語では、「魚の釜中で遊ぶが如し」という。熱い湯の中に魚か蛙が入れられるとビックリして飛び出すだろうが、ぬるま湯に浸かっていると熱さに気づかずに、遂にお陀仏だというわけだ。
 こういうところまで追い込まれると、後は窮鼠猫を噛む以外に脱出策はなく、再び60年前と同じ結末、そして「勝てば官軍」が待ち受けているのだ。僕のような老人にはもう何の関係もない。本欄の若い読者や孫たちのことが気がかりなだけである。

 

                        [末石月報のトップへ]