末石月報 ドイツ混浴サウナ探訪, 1977 (1)

ま え お き 
 死期がそう遠くはないと思うので、いろいろ苦労したことを遺しておきたい。その一つにドイツのDortmundで混浴サウナ(独語ではザウナ)に行ったことが含まれる。
 ところが当時の日記に絵まで描いたはずなのに、行方不明。日時は多分77年の3月、火曜日の午後であったことだけは間違いない。この時間帯が混浴だったのだ。あとはすべて記憶にもとづく。
 詳細を書けばいろいろ面白いこともあるのだが、僕をDortmund大学環境保全研究所(Institut fuer Umweltschutz)の招聘教授として招んでくれたのは、当時36歳のHans‐Jurgen Karpe教授。1968年にも大阪でのある会合で彼と同席していた。27歳の新進教授だった。

発 端
 ドイツ行きOKの手紙がKarpeから来たのは76年のクリスマスイヴ、飛び上がるほど嬉しくて、阪大からの帰りに四条河原町で下車後、何軒か行きつけの酒場を覗いたがどこも満員。もう50mで東大路というところでやっと1席みつけた。サントロペ。それが神戸大学の哲学教授橋本峰雄の隣りだった。彼は僕を知るはずがないが、僕は彼を知っていた。京大の学生時代に法然院に下宿していて、娘を寝取って貫主に入り込んだ、ということは巷間の噂だった。
 僕が席に着くや否や、彼はいきなり「貴方の外国はどの方面ですか?」と問いかけてきた。得たりや応と「今日ドイツ行きが決まったところ」と答えたのは当然。「それなら一つお願いがある。僕が果たせなかったことがある。混浴のサウナを調べてきてほしい。イギリスにはLondonの西にBathという町があるし、ドイツにはBaden Badenという所もある」と彼。僕は努力します、とだけ答えた。
 12時を過ぎてもう1軒、より道へ寄り道した。2時に看板になったがタクシーが全然ない。思い切って歩いて帰った。1時間半もかかって午前4時帰宅。それからもう一仕事。

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