末石月報 ドイツ混浴サウナ探訪, 1977 (3)

Nicht springen !
 Karpeは、僕が混浴サウナに行ったということを助手の誰かに聞いたに違いない。4月も末の日曜日、寮で退屈していると突然Karpeがやってきて、サウナへ行こうという。前とは違う場所だった。ただしこの日は混浴ではなかった。
 プールの正面の壁にNicht springenと大書してある。僕は瞬間、あっ時々中で小便をするやつがおるんだな、と曲解した。旧制高校時代はドイツ語の杉山産七教授の代理をしたと僕は誇り高かったのに、ドイツへ来る前には定冠詞の変化すら忘れていることに気づいた。それで日常語をいくつか事前に調べて頭に叩きこんだ。「小便をする」もその内の一つだ。それがspringenだと短絡した。昔須磨の海で、六尺褌を通して小便をしたことがあり、一瞬腰のまわりが少し暖かくなったが、何はともあれ非常に気持ちよかったのだ。
 その日サウナは空いていた。プールに居るのも2〜3人。前回は躊躇ったふりチンの飛び込みを決行することにし、見事成功。さてもう一度と構えたら、プールの中のオジサンがやおらNicht springenを指差した。やっやっやっ、これは「飛び込み禁止」だったのだ。僕はすぐわかったという意味のサインを出した。
 そのあとKarpeとピンポンをしたが、もちろんスッポンポンでである。

結 末
77年6月日本に帰った僕は、非常にうまい具合に前と同じサントロペで橋本峰雄に出会えた。彼への報告は、ここに書いたよりもう少し詳しくした。それは彼が「現代風俗研究会」を主宰していることを知っていたし、当時は今より記憶はもっと鮮明だったはずだ。多分hairの色などにも及んだだろう。彼はすぐ「それを全部もらってもよろしいか」と問うたので、どうぞどうぞと答え、現風研の機関誌にでも搭載されるのを楽しみにしていた。ところが。
 いつまで待っても一向に音沙汰がない。そして遂に、1984年3月7日食道ガンで亡くなったという訃報が出た。享年59歳。ついでいうと、この原稿の執筆中に、妻が整理していた古い資料の中から、訃報の新聞記事の切り抜きが出てきた。これも因縁めいているな。いずれにしろ20年ほどこの決着は諦めていた。特に彼の死後の僕は猛烈に忙しかったから。
 3年前、京都精華大学の表現研究機構の講演会に出るべく、久しぶりに同大学に行った。会場への途中に図書館があって、受付の女性が僕を覚えていたらしく会釈をくれた。精華大にも現風研のメンバーがいたから、もしやと思って機関誌のことを尋ねたら、橋本峰雄著「風呂について」を見つけてくれた。でも、レポートの最後に「ドイツにも混浴のサウナがあるという・・・・」と一行だけ。機関誌の発行年月も号数も確認しなかった。おそらく闘病中のエセイだったのだろう。
去年の春、神戸からKreiselが夫婦で訪ねてきてくれたのだが、僕じしんの体調のために長時間の座談ができず、サウナのことなどすっかり忘れていたのはお粗末。

余 談―橋本峰雄の奇行
 橋本は法然院から神戸六甲台の神大へ通っていた。『週刊朝日』発売の日には、阪急四条河原町の売店で、1冊タダで手に入れ、三宮までに全部読み、三宮の売店に返却していたという。それを自慢たらしく僕に話したのだ。

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