■連載 有害研究の前線H 環境家計簿とその背景
1981年12月 日本生活共同組合連合会 『消費者運動』82号


●過密化する都市、そのはき出す廃棄物は過負荷状態であり、破局も遠いこととはいえない
●企業はもちろん、住民がみずからの生活のありようを問い直す時期が来た


 環境家計簿といわれると何か、私たちが通常使用している家計簿を連想しがちです。しかし、末石先生たちが提唱されている家計簿はそれとは全く異質でありより総合的な内容であるとお聞きしました。
 環境家計簿とはいったい何か。そのあたりを直接たずねてうかがってみることにしました。なお、今回の取材にあたって、実際に末石研究室にご指導いただいて、生協組合員としての暮らしの点検活動を行った大津生協の山田理事・市吉理事にもご協力いただきました。また、阪大では末石先生ばかりでなく、盛岡助教授・日下正基助手・八木俊策助手のお話もうかがうことができました。


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環境家計簿とは何なのか
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 大津生協では環境家計簿研究グループが「近年、私たちの生活は便利になり、お金を出せばたいていのことが片付くようになってきました。このような生活環境の中で『真に質の高い生活とは何か』を考えることも少なくなり、便利さの一方で目に見えないところで他人に迷惑をかけたり、環境に負担をかけていることも考えなくなってきているのではないでしょうか。それが、やがて税金や値上げの形でツケがまわってくることはないでしょうか。そこで環境を保全するために環境的依存の大きすぎる生活様式をあらため、生活の見直しをはかる点検をしてみませんか、…………」と呼びかけて、水とゴミの問題にしぼった生活点検を行いました。このような"新しい家計簿"が発想された背景を簡単に説明していただけますか?〈資料1〉
末石  まず私たちが昭和四十年代から提唱しています環境容量の概念を説明しましょう。これは、「自然や街がもっている環境の質の回復・保存・向上に向けて、自然や街を構成する要素を再評価し、生活や生産の諸活動を保証しつつ、社会のしくみを再構築する」ための理論です。
 従来から言われていた自然の受容能の他に、自然からのフィードバックと人間活動の変動を吸収させる緩衝型ゾーンの容量、生活圏の単位時間あたりの総活動量、さらに総活動量の時間的積分をつけ加えたものです。
 こうした手法による分析と研究をすすめ、実際の宅地開発に応用できるところまできました。
 ところで、経済学の分野には社会的費用という概念があります。この手法によってある範囲内での環境保全の解決法を見出すことは可能ですが、人間生活の環境的依存を考えると金銭で測り得ない関係が多くあります。いわば、環境への依存を非貨幣的単位で調べることを通じて、現在の社会的諸関係のもとで不当に低いレートで誤って貨幣に換算されている部分を正すこともできるわけです。この環境的依存を市民レベルで家を単位として計算してみようというのが環境家計簿です。


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新しい日本的生活様式も描ける
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 このたび大津生協でそのような考え方にもとづいて独自に具体化した"くらしの点検"を行ったわけですが、これらの集計結果はどのように生かせるのでしょうか。
末石  一つは個人が環境家計簿をつける過程で自分で環境的依存を考えてみるという生活のみなおしの意味があります。将来、このような環境家計簿が広がれば、いわば全国平均の新しい日本的生活様式が描けるのではないか、さらにすすめて、個人の行政的なくくりを環境的依存として計量することも可能になるだろうということです。
 要するに金銭の出し入れではなく、もう少し視点を変えて自分の行動が環境に対してどんな働きかけをしているのか、日記をつけるみたいに書いてみることが大切だということですね。
盛岡  実例をみていただくと理解しやすいと思いますよ。環境的依存関係とその際のヒューマン・コミュニケーションを大切にしているということです。〈資料2〉


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何を優先すべきか生活の中で発想転換
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 話はかわりますが、先生は工学部で研究されていますね。私たちのくらしとすまいについても最近の研究を話していただきたいのですが。
末石  私の専門はもともと上下水道あるいは廃棄物などの専門分野で、都市の拡大が環境に悪影響を及ぼすという立場から研究を行ってきました。
 その立場から、例えばクーラーを考えてみます。家がたてこむから、つまり土地に対する家の容積率があがるから、夏にはクーラーをつけざるを得ない。一軒がクーラーをつければ放りだされた熱が外部に滞りますからさらに熱くなり、隣りの家はさらに強いクーラーをつけざるを得ません。そうなるとまた外は熱くなります。家の中は非常に涼しいかもしれないけれども、このような状況は環境容量でみると破産状態であるとみなせます。
 また、既成の建築学ではなかなかでない発想ですが、風呂場を二階にもっていって簡単に下の洗たく機に流せるようにするとか、屋根に降った水も利用できるような構造にするとかも、すまいのつくり方として可能なのではないでしょうか。
 そうしますとそのような発想の転換を家レベルからさらにコミュニティ、町、地域のレベルへと広げてやってみるということですね。
末石  さきほどからの環境家計簿もコミュニティ家計簿に発展させたり、地域レベルでの環境収支での帳尻あわせに役立てていくことも可能だろうということです。
盛岡  例えば、滋賀県の富栄養化防止条例の成立の背景、つまり、地域住民の八割が条例案に支持をうちだした事実は、家庭の主婦がリンの入った合成洗剤を使うことの便利さよりも琵琶湖の富栄養化を防ぐことが先決と意識した結果であろうと思います。つまり、一時的には信じた選択の効率が湖の富栄養化を進行させてまで追求すべき生活の質であったかどうか、と反省しているわけです。
 また、こんな計算もされています。ある生協で組合員が月に十回買物袋を再利用した。すると、年間に六千万枚の袋、つまりポリエチレン百五十トンあるいはナフサ九十万リットルを節約したことになります。
 これは資源の節約にもなっているが、あきらかに石油からポリ袋をつくる過程で発生する推定三千二百KgのSOx、二十Kgの有機汚濁物(COD)と少なくして、さらにゴミ焼却炉の耐用年数を確実に伸ばしているわけです。


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「後は野となれ」式の生活パターンとの訣別を
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 ふだん、私たちが具体的にみないで結果としてどこかに押しつけることになっているかもしれないことをまず確認し、できたら、そのようなことを少なくすることが大切というわけですね。
末石  資源やエネルギーの供給に限りがあることは国民各層は認識しています。しかし、私たちはその有限認識を生活の身近なところにおいては考えていません。
 私たちはこれまであとは野となれ山となれ式に行っていた生活様式を変更していく必要があります。
 そして、各自の家のみなおし、コミュニティ、町、地域のみなおしと広げて、自然との共生、近隣環境の保全と開発、生活環境の質向上を同時に追求していく道を模索していくべきなのです。
 今日はどうもありがとうございました。