■市民研究宣言 U 1995年9月20日 千里リサイクルプラザ研究所 機関紙『しみんけんきゅう』第2号 ![]() 京都精華大学・美術学部の留学生、東君が描いた末石研究所長の似顔絵。 創刊号に続いて、また「顔」から始めましょう。京都精華大学の美術学部の留学生東君が盗み書きをしてくれた似顔絵です。私は今、この絵を大学の研究室のドアに貼っています。プラザ研究所の理想をいえば、電子掲示板を屋上に出していろいろな情報発信をし、ついでに私の喜怒哀楽の似顔絵も出して、「ヒマだから誰でも話に来なさい」とか、「今は怒っている」などと、市民研究員に伝えられたらなあ、と思います。 ■市民の顔を引出すこと 創刊号の編集後記と重複しますが、市民の顔と研究の関係について考えてみましょう。 創刊号編集の最終段階で、私は『しみんけんきゅう』の英語を何にしようかと、たいへん悩んでいました。京都精華大学の国際交流室嘱託のロジャース氏に相談に行き、市民研究のことを説明したら、彼は英語の単語を20ほど並べてくれましたが、私はどれも気にいりません。 そこで見せてくれたのが、彼がアサヒ・イヴニング・ニュースに書いたモーラ・ハーリさんの記事でした。彼女は京都で仏教の勉強をしながら環境のネットワークづくりをしていて、ロジャース氏自身もグループの一員で、また同紙のフリーライターでした。私は、彼女がいう「市民ネットワーク=環境曼陀羅」に魅せられたのです。記事の写真には、鴨川の堤防の上でのハーリさんのいい顔が写っていました。 これとは全く無関係に、表紙のデザインを編集協力の澁谷さんが進めてくれていました。案をひと目見た瞬間、「あっ、これだ」と思いました。裏表紙に女性研究員の年齢を出して、いささかひんしゅくをかいましたが、表紙の図版には、いきいきした研究員の顔を出さねばならないのです。 私はすでに1991年、「顔のみえるリサイクル社会の構築」(『廃棄物学会誌』2巻1号)という論文を書いています。一般市民が顔の見えない匿名性の都市に安住して、自分一人ぐらいは、と非倫理的なごみ捨て行動をとれば、いかに行政が努力しても、また研究所ががんばろうが、元も子もありません。それなのに、顔の大事さを認識しているつもりの私が、研究グループには「CIづくり」という専門的な名をつけてしまいました。 最近、グループのひとりから提案がありました。「所長、吹田の顔研究会にしましょうよ」と。大賛成です。「この紋所が目に入らんか!」とまではいきませんが、市内の調査のときなどに、市民研究員に大きな名札をつけるように頼んでいるのも、責任をもって顔を見せる第一歩なのです。 ■市民と専門家はここが違う 「市民研究」というときの市民とは、必ずしも吹田市民を意味しません。現に、京阪神三市からの研究員もいますし、もっと耳よりな話で、北海道から国内留学できるかという打診も私に来ています。もちろん大歓迎です。 ここでは市民を専門語で定義せず、市民研究と専門研究の違いを考えてみましょう。第16代アメリカ大統領、リンカンが唱えたgovernment of the people,by the peopleの、 government を研究に、peopleを市民に変えればわかりいいでしょう。もうひとつ、リンカンのように、専門家もfor the citizenとはよくいいますが、むしろ彼らはon the citizen(市民について)として、市民参加やボランティアの形態を研究の対象として眺め、研究成果を学会へもって行ってしまうのです。 たしか石油危機の頃のことでした。当時は家庭でもスナックでも、サントリーの「だるま」(ウイスキの『オールド』の愛称)が全盛でした。もし「生きビン」として再利用しなければ、黒ビンであるため、中身を飲んだあとはごみにしかなりません。それで、豊中市の消費者グループが、サントリーに回収をよびかける集会を開きました。もちろん、市役所の人もビン商の人も出席していましたが、サントリーの席はついに空いたままでした。 もう詳しいことを忘れましたが、市役所もビン商も対策のむずかしさを力説したはずです。私は作りっぱなし・売りっぱなし・飲みっぱなしの社会の仕組みを批判して、一堂のご婦人たちには「旦那から一本あたり50円ずつ集めて、それをつけて、まず専門の回収業者に頼んだらよろしい」と提案しました。 数少ない男性の出席者の一人がやおら立ち上がって、「あんたは本当に国から給をもろとんのか」といきなり発言したとき、私は一瞬ギクっとしました。でもそのあと「ふつう、学者いうたら行政の肩ばっかりもちよって・・・。しかしあんたは少し違うようや。この人のいうことをもう少し聞こうやないか」で、私は救われました。 ■生活領域に専門はない 大量に集まるだるまを引き取られる力が、市役所かビン商にあるかどうかはわかりませんでしたが、資源価格だけでは経費的に賄えないのは明らかでした。私の提案の趣旨は、「だるまのリサイクル・システムを作るために、中身をエンジョイした男性がもっと経費を負担してもいいはずだ。ごみにするのが資源的にもったいないというのなら、花壇にできるかもしれない高い地価の庭に空きビンを積みあげておくこととくらべてみれば、50円は高くない」ということです。 「ビンはあくまで資源で有価物だから、逆にわれわれが50円もらうべきだ」とくいさがる一人の主婦を除いて、全員が納得してくれました。ですが、豊中の人たちへのその後の責任を、私はまだ果たしていません。多分、あらゆる容器と中身の利害や、土地も水もエネルギも含めたリサイクルの追加コストを一括する市民研究によって、問題解決の政策シナリオができるはずです。 ながながと自分の発言を引用したのは、この例で専門家と市民の立場の違いを説明したかったからです。旦那が50円負担する方式は、ごみ行政でいま検討が始まっている逆有償です。市民が50円受け取るのは資源経済学だけの立場で、結局おカネがどちらむきに流れるにしろ、専門家の発想なのです。専門家に「狭い」という接頭語をつければ、よりわかりやすくなるでしよう。行政は、多数の市民を束にすることで効率のあがる仕事だけをやっているのですし、生産者だって同じことです。だから専門業が栄えすぎると、市民生活は物的にも精神的にも完全に均質になって、何かカスみたいなところしか、自分というものは残らなくなります。 市民は専門的に生活をするわけではありません。白分の身のまわりのすべての事柄とボトルの金額とその方向を見定める資格をもっているのは、行政でも学者でもない、まさに市民だけだといえるのです。私は自分の家の庭を思い浮かべることで、かろうじて専門家と市民の立場を統一できたのでした。 ■市民研究から政策提言へ 結局、中央政府はもちろん、地方自治体ですら一般市民の観察能力を凌駕することはできません。では、アフリカで起こっている問題についてはどうか、という反論がここで出てきます。この答えは次回以降のテーマにせざるをえませんが、「だからこそ研究がいるのだ」という例をひとつあげておきましょう。ニュース・ステーション(テレビ朝日の番組)からの引用です。 日本に国際リサイクル協会というボランティア団体があるそうです。16年も続いているモザンビークの内戦をやめさせて農業を、という目的で、100万挺の銃を買い上げ、現地の鍛冶屋で溶かして鍬にしようということで、銃を買い取るため、一挺につき3,300円分の募金を日本国内で1,000口集めました。現地の鍛冶屋はOKしたのですが、ところが国連から「待った」が入りました。買い取れば買い取るほど、いくらでも新品の武器が入って来る、国連の仕事の邪魔になる、というのです。 そこで次に協会は、銃と自転車を交換しようと、目黒のリサイクルセンターとタイアップすることにしたそうですが、自転車では農業はできません。つまり、いきなりカッコいいボランティアを目指しすぎて、事前の研究が足りなかったとしかいえません。ルワンダに派遣された自衛隊についても、似たことが毎日のように報道されています。 ボランティア性とは、いうまでもなく無償奉仕を指してはいません。1990年時点のアメリカでは、114万団体・8,000万人に及ぶボランティアの活動が12兆円の市民寄付に支えられ、これがGDP(国内総生産)の7%、雇用の11%を占めている事業だということからも明らかです。 つまり、市民型の調査研究と実際行動をへてはじめて、受け身一方であった市民にも政策援言能力がついてくるのです。これがNGO(非政府機関)型の政策になります。そしてこのような政策は、市民が行政をただ単に助けるような、ミクロな立場の細分化した政策を意味しません。お隣りの家、隣の町内など、同士が互いに援助と監視をしあうような協調が市民的政策になるのです。 リサイクルを例にとれば、名前は平凡な「自治体と市民の連携会議」でも、ごみ処理について市当局を批判した市民グループが自発的に計画を練り、NGOを組織してこの計画を市のシステムとして認めさせるような市民ネットワークづくり(『エコノミスト』1994年9月20日号)に向かうべきなのです。 政策提言能力を市民がもつためには、政策科学を専門的に勉強することも有利でしょうが、そう決めつけてしまうと、問題の身近さ・遠さを忘れてしまう危険があることは先ほど説明しました。ボランティア性の意味を「自発性」「先駆性」と解釈しますと、私たちが自発的に新しい環境文化・生活スタイルを選びとること、そしてそれを先駆的な政策に昇華させていくこととして、ボランティア型NGOの意味がはっきりしてくるはずです。 ■知は市民の財産 文化は市民の品位 私の論点は、経済大国を支えるためのサブ・カルチャーとしての市民研究でもなく、「何でも反対」のような対抗文化を難解な言葉を使ってオブラートで包みこむことでもありません。また「豊かさとは何か」という議論ばかりをすることでもありません。まず最も単純に、これまでの庶民や公衆の生活からは抜け落ちてしまった概念-それが環境であり、自己と他人のあらゆる関係性です-を自発的かつ先駆的に自分の中に取り戻すことです。その方法が「研究」なのです。 表題の小見出しは、セイコー電子工業の原禮之助氏が「大学改革」についてされた講演のキャッチ・コピーの、「国」を「市民」にかえたものです。21世紀には、だんだん国家という枠組みが暖味になっていくからです。 経済大国の日本はまことにもって異様です。「知」とは、教育で得た「知識」が何に役立つかというとらえ方ではなく、もっと広く、人間と他のあらゆる世界との関係を問いかける言葉です。文化も、特殊な日本芸能や美術館・劇場などの数では表せません。人間の行動を精神的・社会的に律する価値体系をいうのです。 ですから、あらゆる既得権にしがみついて、これまでの行動様式を変えないこと自体が、環境に与える悪影響がいかに大きいかということを考え、またこういう着想で、たとえ効率は悪くても、多くの「市民」が「研究」をしてみることを「文化」と考えなければ、私たち個人はもちろん、国の品位も保てません。まさに、非専門家による環境研究時代がやってきたのです。 |