■座談会 その3

― ゼミの風景

櫻井 ゼミは独特だったよね。
西村 そうそう。一番最初の時に皆を集めて、自分が何をやりたいかプレゼンテーションをさせた。最初のプレゼンの時と、宮野邸(末石先生のお知りあい)で焼肉した時の論文の書き方と、最後のプレゼンと、その3回と違う?全員集まったのは。
櫻井 私たちは多かったの、18人ぐらいいた?それで全員でゼミはできないからってことで、プレゼンをして似たようなテーマの人が集まって3チーム作ったの。チームごとに日にちをずらしてゼミをしてたから、先生の労力は3倍かかっていたよね。
鯉住 次の年に繰り越した人が僕のほかに4人くらいおったんで、1年ほど特別にゼミをしてもらったんですね。先生が4人に講義してくれるものだったんで、あれはかなりリッチな体験でした。わからんことリクエストしたら教えてもらったり、先生が環境ホルモンのレジメ作ってきて発表しはったり。かなり幸せでしたね、あれは。
先生って何でもかんでもつながってるんですね。その世界観ってすごいなぁ、って思うんですけど。僕がこう話してんのに、なんかだんだん(指を横にずらしながら)。
一同
鯉住 でも、なんかしらんけどまた戻ってくる。あれがとても不思議というか、途中で心細くなるんですけど。
一同 (笑)そうそう。
鯉住 おおむね考えを支持してくれてはったのが嬉しかった。
櫻井 うん、それはある。厳しいんやけど、学生が言ってることを否定していないってわかるもんね。
西村 学生からどんなことを引き出してやるか、ということにかなり重きを置いている。私は今、仕事では、医療用具の開発と起業化に関わっていて、環境からは離れているんだけど、片や京都外大で「都市と環境」という授業を1コマもっていて、学生に一番最初に言うんですよ。試験はしないのでレポートを出してと、その中身は環境に引っかけてくれたら何でもいいよ、と。末石先生がおっしゃったのをそのまま真似してます。ほんとにまぁ、学生のテーマは幅広くて、読むほうも大変なんだけど。ただまぁ、専門的に範囲を絞らないで学生から出てくるものに対して、末石先生もそれを楽しんでいらっしゃったのかなと思います。
村上 指導教官の役割は、専門分野を教えることよりも、背中を見せるってこともあるんじゃないかな。末石先生と会ってお話したのは、たぶんこの2年半で10回ぐらいかな。ほんまそれだけなんですけど、自分がやろうとしていることを「よし」と言ってもらえると自信を持って取り組めた。今でも何かしていく時、末石先生にギロッて睨まれた気になることがある。これで良いのか悪いのかを決める時の大きなものさしになってるんでしょうね。
「研究を閉じる」ってことはよく言われた。君らがやれる時間は1年間だから結果を出すのは限界がある。でもよくあるように、「これについては今後の課題とする」と論文に書いてある、あれはあかんねん、閉じなあかんねんて。
櫻井 研究を閉じるという言葉ではなかったけど、精華大でも同じようなことを言われた。第1章で問題提起、第2章で調査の説明、第3章で調査の分析をして、それで終わるなと。たとえ稚拙でもいいから自分は社会に対して何を提案するのかを書け、できればプランを立てなさいという指導を受けましたね。
菅:それ、研究者の人に伝えるならわかんねんけど、まだ論文書いたこともない学生に言うんやから、かなり厳しいよね。
鯉住 いやっちゅうか、研究者になってる人にそんなこと言うてもだめなんじゃないですかね。僕らが学生やから認めてくれてはるっていうことがヒシヒシと・・・。(末石先生は)よく「学生は化けるから」って言うてました。ピッタリのテーマを与えたら、その瞬間そいつは変わる。今の僕を肯定してるんじゃなくて、その話を聞いてどう思うかを肯定してはるんだろうな、という気がしますね。だからある意味プレッシャーなんでしょうね。
羽深 大学の卒論でいったん研究が終わっても、自分が興味があるものであれば少しずつ深めていって、3年とか4年のスパンで論文まではいかなくても書けるようにしときなさいっていう話をされていました。


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